お父さんは、37歳。

エッセイ

朝、大人たちがひそひそと話す声で、目が覚めた。
僕を起こさないように運び出そうとしている。
面白かったので眠ったふりをしていると、
布団のまま板に乗せられて、駐車場の小屋に運ばれた。
家より寒いな。
とか思ってるうちに、また眠っていた。

起きて家に帰ると、1年前に入院したお父さんが帰って来ていた。
布団で、眠っている。

「触ってごらん。まだちょっと暖かいから。」
お母さんの言葉の意味はわからなくて
「やだ。」
と言った。触らなかった。

「今日は、小学校へ行かなくていいからね。」
行かなくていいの? 熱ないけどな。

近所の人が、いつもより僕に優しい。
隣のおじさんが、キャッチボールをしてくれた。
大人の男の人と遊んだことなかったから、嬉しかった。
ボールを投げてはしゃぐ僕を見て、泣き出す人がいた。

僕の家は、床屋さんだ。
去年、僕が1年生の時。お父さんが入院してからは、お母さんが一人で働いてる。
料理と洗濯は、6年生のお姉ちゃん。
僕も、掃除とか雑巾がけとか、お手伝いをしてる。

キャッチボールの後、家に帰ると、お父さんが木の箱に入っていた。
お母さんが、箱を開けて、キスしている。
泣いてる人がいる。

黒い服の人がたくさん来て、家がいっぱい。
白いシャツと黒い半ズボンに着替えて、一番前の座布団に正座した。
正面に、お父さんの写真。
お坊さんがお経を読みはじめたら、お姉ちゃんが泣き出した。
僕もなんだか悲しくなって、泣いた。

位牌を持って、バスに乗る。
一番前の席が嬉しくて、飛行機みたいに「ブーン」って遊んだら、
お母さんが黙って僕の手を押さえたので、やめた。

バスを降りると、知らない建物。
お父さんの箱が、ゴロゴロと押されて行く。
お坊さんのお経が終わって、銀色の扉が開くと、急に、
お母さんが木の箱に取り付いて、大声で泣き出した。

「やだよ~!○○さん、やだぁ~!」
お父さんの名前を呼んで、泣き叫んでいる。
数人の大人がお母さんの肩を抱いて、箱から引き離した。
扉が閉まる音がした。

白い布に包まれた箱をお墓に入れて、家に帰って来た。
位牌と、写真と、小さい白い箱の前に座って、お線香の上げ方を教わった。

2日後は、お母さんの誕生日。
赤いイチゴの乗ったケーキを切って、誕生日の歌を歌おうとしたら、お母さんが泣き出した。
「手術が終わったら、一緒に誕生日お祝いしようね。って約束したのに……。」

父は、12人兄弟の3男として、農家に生まれた。
生まれつき身体が弱く、足も悪くて、走れない人だった。

街の電器店に就職したけど、重い家電を扱う仕事は辛い。
配達中に、床屋さんが店の中で新聞を読んでいるのを見かけて
「通勤も配達もしなくていい仕事もあるんだな。」
と思い、働きながら通信制の理容学校で資格をとって、開業した。

同じく農家に生まれ、通信制で理容士になった母と見合い結婚。
風呂のない小さな家で、姉と僕が生まれた。

小鳥や金魚など、小さい生き物を育てる優しい人だった。
店の駐輪場には葡萄棚。
駐車場に栗や柿の木を植えて、世話して、実らせる人だった。

家族でスケートに行っても、父は滑れない。
僕が氷の上で立って、歩けることを誉めてくれた。
喜んでくれた。

心臓病が進んで、店で転ぶことが多くなる。
「スッボンの血が心臓にいいから」と、母がバスで買いに行く。
急いでも家に着くと血が固まってしまって、「飲みにくい」と言った。

葬式の日、おばさんに言われた。
「お姉ちゃんとあんたに食べさせるから残しておくんだ。って、
食べなかったイチゴが、病室で腐っていくんだよ。何で見舞いに行ってやらなかったんだ。」
と、泣かれた。

僕らは、知らなかったんだ。
「もうすぐ退院するから、もうすぐ良くなって帰ってくるから、見舞いに行かなくていいんだよ。」
母にそう言われてたから。家で待ってたんだ。
ごめんね。ごめんなさい。

あの日から、ずっと見守ってくれてるの、知ってます。
貴方ができなかったこと、やりたかったこと。一緒にしたよね。
スキーとか、オートバイとか、海外旅行とか。一緒に行ったよね。

そちらは、いかがですか?
身体がないから、元気ですよね(笑)。
僕も最近、走れない身体になっちゃったけど、まだこっちで、やれることがありそうです。
お母さんと一緒に、もう少し、見守っていて下さい。

いつも、ありがとう。
これからも、よろしくお願いします。

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