羨ましい。ですか? Part.1

大学生

「○○君!」

聞き覚えのある声に振り返ると、彼女がいた。
目を合わせたまま近づいてくる。
誰かと間違えたわけじゃなさそうだ。

「アイスクリーム。食べに行かない?」

意外過ぎて、声が出ない。

同じクラスに3年いるけど、ほとんど話したことはない。
でも、そういえば一度だけ、この子の部屋に入れてもらったことがある。

「歩いて通ってるらしいから、行ってみようぜ。」
言い出した友達に、男4人で、なんとなくついて行った。

都心の緑に囲まれた低層の高級マンション。広い。
一番奥の彼女の部屋へ長い廊下を歩く。途中、奥行きのある部屋のドアが開いていた。
マネキンと型紙。針のついたドレスが並んでいる。

「そこから先は行かないでね。ママの仕事場だから。」

有名デザイナーのお嬢様なんですね。
生まれ育った家は、都内の高級住宅街らしい。

「この部屋の方がキャンパスに近いから、通学用に使ってるの。」

彼女が放つオーラの素を見た気がした。

でも、いつもつまらなそうな顔をしているのは何故だろう。
心から笑ってる顔を見たことがない。
いや、あんな部屋に住んでいたら楽しいはずさ。
住む世界が違い過ぎて、僕にわからないだけなんだ。きっと。

その彼女から声をかけられた。

「お金はいらないの。一緒に行ってくれる?」

いいよ。
平静を装って答えた。

キャンパスのイチョウ並木が黄色に色づきはじめている。
不釣り合いな二人が、並んで歩き出した。

「アルバイトって、したことないの。」

・・・(でしょうね。)

「このお店ね、パパのお友達が最近始めたんだけど、
『君みたいな子が来てくれるとお店がおしゃれに見えるから、食べに来てくれるだけでいいよ。』
って言われたの。
普通にお金は払うんだけど、アイスクリーム持つところの、三角の紙あるでしょ。
そう、それを持っていくとね、お金もらえるの。だから、初めてのアルバイト。
あ、隣の子、紙置いて帰った。ラッキー!」

都会の街が見えるカウンター席に、女子高生が残した三角形の紙が2枚。
綺麗な細い指で金色の留め金を開いて、艶々のハンドバッグに入れた。

「アルバイト。したことある?」

僕はバイトしなきゃ生活できない。今日も、そこの釜飯屋へ行くよ。

「どうしてそのお店にしたの?」

飲食店でバイトするとね、賄いが出るんだ。

「まかない?」

バイト先で出してくれる食事のこと。交通費も出るよ。

「交通費?」

今、家賃1万7.000円の部屋に住んでて電車で通ってるんだけど、定期代が高いから、学校に近い店で働いてる。バイトの交通費で通学してるんだ。

「へえ~。そうなの。」

こんな話、つまんないよね。

「ううん。もっと聞きたい。」

僕は、今までやったバイトの話をした。
カラオケパブ、ラーメン店、中華レストラン、家庭教師、塾講師、コンビニの夜勤、新幹線の車内販売….

「なんか、羨ましい。」

一瞬、馬鹿にされたような気がして、彼女の顔を見てしまった。
寂しそうに遠くを見ている。
その目に、嘘はなかった。

全てを持っていそうなこの子にも、手に入らないものがあるのかな。
そう思いながら、バイト先へ向かった。

僕は、君が羨ましいよ。

当たり前過ぎて言えなかった言葉が、まだ胸に残っている。
ごめん。
今の僕には、君がくれた「羨ましい」の意味が、わからないよ。

いつか、わかる日が来るのかな。
そしたら、また話せるといいね。

(1986年 22歳)

※彼女と続きを話す日は、まだ来ていません。

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