森の中の一本道。
650ccのオートバイで走っている。
夜になってしまった。
月灯りも街灯もない、完全な暗闇。まるで暗室だ。
ヘッドライトの光が照らす先に、カーブは見えない。
絶望的に長い直線道路。
白いセンターラインが、一定のリズムで後ろへ飛んで行く。
8月というのに、寒さで震えている。
暗くなる前にレインスーツは重ね着した。
もう、耐えるしかない。
道の先に、ヘッドライトの反射で何かが光る。
「野生動物に注意」の標識だと認識した直後には、後ろへ飛び去って行く。
また暗闇。
さっきから、この繰り返しだ。
こんな道で大型の野生動物が飛び出して来たら、避けられるのか。
衝突したら、即死かな。
急ブレーキで止まれたとしても、その後が怖い。
急ハンドルでは、転倒するだろう。
暗闇に怪我した身体で一人きり。
怖すぎる。
自分で助けを呼べるのか。
救急車が来るまでどれくらいかかるだろう。
今いる位置さえわからない。何て言えばいいんだ。
危ないのは、横から飛び出す動物だけじゃない。
路上に何か落ちているだけで転倒する。
車に牽かれたキタキツネでも、倒れた木でも同じことだ。
熊の親子。
蝦夷鹿。
岩。
ガソリン。
大きな穴。
最悪の事態を起こす物は、いくらでもある。
そんなことしか考えられなくなってきた。
そもそも、転倒のショックで携帯電話が壊れたら…
死ぬよね。
命の危険を感じながらも、アクセルを開け続ける。
走って街へ辿り着くしか、生き残る方法がない。
雪山の遭難者もこんな気持ちなんだろうか。
視界を右下へ流れるセンターライン。
見続けると、移動感が薄れていく。
ゲーム画面を見ているような感覚になる。
これ、本当に走ってるのか。
異世界に迷いこんでしまったんじゃないよな。
いかん。頭がバカになってる。
しっかりしろ俺。
遠くに、ポツンと明るい点が見えた。
反射じゃない。
自分で光ってる。
人口の光だ。
誰か人がいるんだ。助かった!
その光が、大きくなっていく。
自動販売機だった。
絶望感だけを残し、一瞬でバックミラーに消えていく。
でも、異世界じゃなくて良かった。
遠くに光。
近づくと、自動販売機。
まただ。
でも、その間隔が短くなっている気がする。
あの光は…
民家だ!
人が住んでる場所へ来たんだ。
生き残った。
泣きそうだ。
やっと街へ着いた。
北見というらしい。
古いビジネスホテルには、空室があった。
嬉しい。
小さいユニットバス。
膝をかかえて湯に浸る。
冷え切った指先が溶けていく。
温かい血の循環を、全身が喜んでいる。
コンビニの弁当が、カップラーメンが、この上なく旨い。
ベッドに横になれて幸せ。
小さいテレビを見れて幸せ。
とにかく幸せだ。
増え続ける仕事。
人間関係。
積み重なるストレス。
「自分らしく生きるのに足りない何か」を探しに北海道へ来たけど、
足りないものなんかなかった。
自分の視点が変わるだけで、
ちっとも快適じゃないはずのこの部屋が、今、幸福感で満たされている。
この連休が終われば、また大変な日々が待ってる。
でも、命の危険があるわけじゃない。
どうしてもダメなら、辞めてやる。
生きてりゃ、なんとかなる!
そう思えた。
(1999年 35歳)
コメント