宗教の悩みを消してもらった日。

エッセイ

大好きな先輩が、ある宗教で変わってしまった。
違う人になったみたいだ。

学生時代はあんなに同じ世界を一緒に走ってきたのに、
会っても教義の話ばかり。
毎週日曜日に来て「ありがたい話」をしてくれる。

「俺んち来るのに、スーツとか正座とかいいっすよ。」
笑って言ってみたけど、変わらない。

布教の時は、服装から姿勢まで決まりがあるんだろう。
話題を変えても、すぐ戻されてしまう。
悲しくなったので
「宗教勧誘に来るなら来なくていいです。」
と言ってしまった。
先輩も悲しそうな顔をしたが、それきり会ってない。

ダンスの師匠であり、人間的にも尊敬していた先輩は、
新卒で入った会社を辞めて、布教生活に入ってしまった。

違和感を覚えたのはその教団名。
独特の聖書解釈からの治療拒否が社会問題となり、映画にもなった。
僕ら「あれは違うよね」って話してたのに。

理工学部卒の貴方から
「〇〇は生理的食塩水で代用できる」なんて非科学的な説明は聞きたくなかった。

今のこの世界が全て正しいとは思わないけど、全てが間違ってるわけじゃない。
貴方の言う通り、僕ら人間が神の子なら、
ご自分が創られたこの世界で、幸せに生きることを望まれるはず。
「その治療を受けてはなりません」なんて言わないよ。

そう思うけど、これって正解あるのかな。
知らずに地雷を踏んでしまいそうで、身近な人には話しにくい。
誰にも相談できず、いつも胸にモヤモヤを抱えていた。

関西出張の帰り道。
新大阪駅の売店で弁当を買っていると、遠くに、黄色の法衣を纏う剃髪の男性を見かけた。
チベット仏教の僧だろうか。初めて見た。

修行僧なら、僕のモヤモヤなんか吹き飛ばせるんだろうな。
話す機会ないけど。

指定席に座って外を見ていたら、黄色の法衣が隣の席に座った。
えっ? マジか。 こんなことある?
僕の胸の高鳴りなどおかまいなく、新幹線は東京へ走り出した。

おにぎりとお茶を口に入れたけど、隣が気になって味がわからない。

僧は、凛とした姿勢で静かに何かを読まれている。
30代後半くらいかな。

こんな機会は滅多にないぞ。
でも、仏教の話じゃないし、迷惑だよな。
京都で降りるかも知れないし。

話しかけられないまま1時間が過ぎてしまった。
名古屋を出た時、思い切って声をかけた。

あの、すみません。ちょっとよろしいですか?
「はい。」
静かに閉じた本を膝に置き、その上に両手を揃えて、微笑んで下さった。

僕は、話しはじめた。

先輩が入信した教団のこと。
社会問題になった治療拒否のこと。
それに対して僕が思うこと。
宗教が生まれる背景。
宗派が分かれる理由。
3大宗教の共通点。
幸せとは何か。
人は、この世界でどう生きるべきか。

僧は、初対面の若者の話を、頷きなから静かに聞いて下さっている。
まだ何も答えてもらってないのに、心が落ち着いていく。
不思議な感覚。

話し終えると、胸のモヤモヤが無くなっていた。
まだ、何も答えてもらってないのに。

「あなたの考えに間違いはないと思いますよ。」
静かに微笑んで、ご自分の話をしてくれた。

仏教との出会い。
出家のこと。
修行のこと。
イギリス在住で、ロンドンに日本のお寺を建てるために今、帰国したこと。

あっという間に2時間が過ぎ、東京駅に着いてしまった。

精一杯の感謝を伝える僕に、僧は微笑んで、
「あなたの未来のために祈らせて下さい。」
合掌して、お経を唱えて下さった。

数えきれない人が行き交う東京駅の通路。
チベット法衣の僧がスーツ姿の若者に読経する光景は、ずいぶん目立っていただろう。

あの日以来、宗教で悩むことがなくなった。

何を信じるかは自由。
信じないのも自由。
親と違ってもいい。
むしろ、親と違うのが自然だと思う。別人格なんだから。

どんな親も、子供には生きていて欲しい。
幸せなら最高だけど、どこか痛くても、泣いてたっていい。
生きてて欲しいんだ。

答えは出なくても、聴いてもらえるだけで、救われることもある。
僧の、凛とした姿。優しい声。

貴方に恩返しすることはできないけど、いつか、貴方のような大人になりたいと思います。

ありがとうございました。

(1989年 25歳)

※先輩とは30年ぶりに連絡がとれました。今はLINE友達です。 

コメント

タイトルとURLをコピーしました