大好きな先輩が、ある宗教で変わってしまった。
違う人になったみたいだ。
学生時代はあんなに同じ世界を一緒に走ってきたのに、
会っても教義の話ばかり。
毎週日曜日に来て「ありがたい話」をしてくれる。
「俺んち来るのに、スーツとか正座とかいいっすよ。」
笑って言ってみたけど、変わらない。
布教の時は、服装から姿勢まで決まりがあるんだろう。
話題を変えても、すぐ戻されてしまう。
悲しくなったので
「宗教勧誘に来るなら来なくていいです。」
と言ってしまった。
先輩も悲しそうな顔をしたが、それきり会ってない。
◇
ダンスの師匠であり、人間的にも尊敬していた先輩は、
新卒で入った会社を辞めて、布教生活に入ってしまった。
違和感を覚えたのはその教団名。
独特の聖書解釈からの治療拒否が社会問題となり、映画にもなった。
僕ら「あれは違うよね」って話してたのに。
理工学部卒の貴方から
「〇〇は生理的食塩水で代用できる」なんて非科学的な説明は聞きたくなかった。
今のこの世界が全て正しいとは思わないけど、全てが間違ってるわけじゃない。
貴方の言う通り、僕ら人間が神の子なら、
ご自分が創られたこの世界で、幸せに生きることを望まれるはず。
「その治療を受けてはなりません」なんて言わないよ。
そう思うけど、これって正解あるのかな。
知らずに地雷を踏んでしまいそうで、身近な人には話しにくい。
誰にも相談できず、いつも胸にモヤモヤを抱えていた。
◇
関西出張の帰り道。
新大阪駅の売店で弁当を買っていると、遠くに、黄色の法衣を纏う剃髪の男性を見かけた。
チベット仏教の僧だろうか。初めて見た。
修行僧なら、僕のモヤモヤなんか吹き飛ばせるんだろうな。
話す機会ないけど。
指定席に座って外を見ていたら、黄色の法衣が隣の席に座った。
えっ? マジか。 こんなことある?
僕の胸の高鳴りなどおかまいなく、新幹線は東京へ走り出した。
おにぎりとお茶を口に入れたけど、隣が気になって味がわからない。
僧は、凛とした姿勢で静かに何かを読まれている。
30代後半くらいかな。
こんな機会は滅多にないぞ。
でも、仏教の話じゃないし、迷惑だよな。
京都で降りるかも知れないし。
話しかけられないまま1時間が過ぎてしまった。
名古屋を出た時、思い切って声をかけた。
あの、すみません。ちょっとよろしいですか?
「はい。」
静かに閉じた本を膝に置き、その上に両手を揃えて、微笑んで下さった。
僕は、話しはじめた。
先輩が入信した教団のこと。
社会問題になった治療拒否のこと。
それに対して僕が思うこと。
宗教が生まれる背景。
宗派が分かれる理由。
3大宗教の共通点。
幸せとは何か。
人は、この世界でどう生きるべきか。
僧は、初対面の若者の話を、頷きなから静かに聞いて下さっている。
まだ何も答えてもらってないのに、心が落ち着いていく。
不思議な感覚。
話し終えると、胸のモヤモヤが無くなっていた。
まだ、何も答えてもらってないのに。
「あなたの考えに間違いはないと思いますよ。」
静かに微笑んで、ご自分の話をしてくれた。
仏教との出会い。
出家のこと。
修行のこと。
イギリス在住で、ロンドンに日本のお寺を建てるために今、帰国したこと。
あっという間に2時間が過ぎ、東京駅に着いてしまった。
精一杯の感謝を伝える僕に、僧は微笑んで、
「あなたの未来のために祈らせて下さい。」
合掌して、お経を唱えて下さった。
数えきれない人が行き交う東京駅の通路。
チベット法衣の僧がスーツ姿の若者に読経する光景は、ずいぶん目立っていただろう。
◇
あの日以来、宗教で悩むことがなくなった。
何を信じるかは自由。
信じないのも自由。
親と違ってもいい。
むしろ、親と違うのが自然だと思う。別人格なんだから。
どんな親も、子供には生きていて欲しい。
幸せなら最高だけど、どこか痛くても、泣いてたっていい。
生きてて欲しいんだ。
答えは出なくても、聴いてもらえるだけで、救われることもある。
僧の、凛とした姿。優しい声。
貴方に恩返しすることはできないけど、いつか、貴方のような大人になりたいと思います。
ありがとうございました。
(1989年 25歳)
※先輩とは30年ぶりに連絡がとれました。今はLINE友達です。
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