空を飛ぶ。自由に。

パラグライダー

「大きくなったら何になりたい?」
「パイロット!」
保育園の僕の答えはいつも同じ。
「だって、空。飛べるんだよ。」
クレヨンで画用紙に描く絵も、飛行機だった。

成長と共に友人たちの進路希望は現実的なものに変わっても、
僕の夢は、高校生になってもパイロット。
でもその壁はやっぱり高い。

航空大学校へ進むには理数系の学力が足りない。
かといって、航空自衛隊の訓練に耐えられる体力もない。
押し寄せる現実にいつしか「空を飛ぶ人になること」を諦めていた。
飛行機への憧れを胸に押し込めて文系の学部へ進学し、就職した。

49歳の誕生日。
「来年は50歳か。」と思ったら、
何か、大事なことをやり残しているような気がしてきた。
いつも、胸のあたりがモヤモヤする。
それが何かわからないまま、増え続ける仕事をこなしていた。

ある日の午後。
部下の運転する社用車で、取引先からの帰り道。
後部座席に一人で乗っていると、FMラジオから聞き覚えのある歌が流れて来た。

♪ ああ、人は、むかしむかし、鳥だったのかも知れないね。
こんなにも、こんなにも、空が恋しい ♪

出典:中島みゆき「この空を飛べたら」

30年前に閉じ込めた思いが、一気に溢れ出した。
「そうだ。俺は、飛びたかったんだ!」
涙が出そうになるが、泣くわけにはいかない。
深呼吸して、目を閉じる。

逆効果だった。
瞼の裏のスクリーンに、様々な飛行シーンが映写される。
銀色のF-14戦闘機で米空母から飛び立つマーヴェリック。
白いメーヴェで風に乗るナウシカ。
赤い飛行艇でアドリア海を飛ぶポルコ・ロッソが、こっちを見て笑う。

「飛べない豚は、ただの豚だ。」

出典:スタジオジブリ「紅の豚」

もうダメだ。
閉じた目から、涙が溢れ出している。
後部座席で良かった。

窓を少し開けて外の風を入れ、空を見上げる。

青い空。白い雲。
時折、鳥が視界を横切っていく。
「待ってろよ。そっちへ行ってやる。」
心は決まった。

方法は何でもいい。とにかく飛ぶんだ。
ワクワクしてきた。
胸が躍るとは、こういうことなんだろう。
心は、10代のあの頃に戻っていた。

その夜から、飛ぶ方法を探す。
ハンググライダー、パラグライダー、ウルトラライトプレーン、etc.
軽飛行機もいいけど。全身むき出しで飛ぶスカイスポーツに心魅かれる。

沖縄でモーターパラグライダーのタンデムフライトを見つけた。
インストラクターが操縦する2人乗りのエンジン付パラグライダー。
砂浜から飛び立ち、高度200mへ上昇。
エンジンを切って風に乗って着陸。約5分間の飛行体験だ。
早速申し込む。

沖縄で飛ぶ日が待ち遠しいけど、不安もある。
高度200mって高すぎないか?
高い所が平気なわけじゃない。普通に怖い。
でも、ワクワク感の方が大きい。

体験飛行当日は、気持ちよく晴れた。
料金を払い、誓約書にサインして、簡単な説明を受ける。
ヘルメットを被り、ハーネスを装着してもらっていると、
すぐ後ろからエンジン音が聞こえてきた。
砂浜に広げたパラグライダーが海風を受けてアーチ状に立ち上がる。

「はい。行きますよ。」
え?もう?
心の準備とかは関係ないらしい。
パイロットが背後30cmに近づく。
色んな匂いがする。
エンジン音に交じって、僕のハーネスのカラビナが接続される音がする。

「走って!」
言われるまま、浪打際へ向かって砂浜を走りだす。
1.2.3.4、5.6、
7歩目には、僕の右足は宙を蹴っていた。

飛んだ!
キラキラ光る青い海が、僕の下を流れていく。
ヘルメット越しに、風の音がする。
「座って!」
背後から、パイロットの指示。
陸上で練習した通りに、背中のゴム板を両手で尻の下まで引っ張り降ろす。
宙吊りから、ブランコに座るような体制になった。
この方が楽。快適だ。

少しづつ高度が上がって行く。
今、30mくらいかな。
更に上昇しながら、ゆっくり左に旋回していく。
斜め下に、さっき飛び立った砂浜が見えてきた。
3階建てのコンクリートのビルも、松林も下に見える。

「上がっていきますよー。」
プロペラの音が大きくなり、上昇スピードが速くなる。
砂浜の後ろの県道、民家、小学校、さとうきび畑。
どんどん見える世界が広がっていく。
足はぶらぶらしている。
飛び立った砂浜の建物が小さくなっていく。
かなりの高さだ。でも全然怖くない。
楽しい。気持ちいい。
生身で飛んでる感が凄い。飛行機の機内とは全く違う世界だ。

上昇が止まり、水平飛行に移る。
「大丈夫ですかー?」
はい!
「基地が近いからよー、200mしか、上がったらいかんわけさー。」
へー、そうなんですかー。
会話する余裕も出て来た。
周囲を見渡してみる。
沖縄の海、空、雲、風、光。
全てが輝いている。
頭の中は空っぽだ。
仕事のストレスなんて全部忘れてしまっている。
最高の気分だ。

「そろそろ降りましょうね。」
エンジンが止まったら、
風の音しかしない、静かな空。
鳥になれたみたいだ。

高度が落ち始める。
さとうきび畑の向こうに、離陸した砂浜が見えて来た。
松林が、建物が、大きくなっていく。

砂浜と平行に、松林と建物の上を通過して、Uターン。
砂浜が近づいて来る。
「走って!」
空中で足を空回りさせて着陸の衝撃に備える。
片方の足が砂浜に触れるままに走る。
7歩くらいで止まった。

パラシュートのように頭上に固く張っていたグライダーが、失速して柔らかい布に戻り、砂浜に落ちる。
駆け寄って来たスタッフがハーネスを外してくれた。
「いかがでした?」
気持ちよかったです!楽しかった!
興奮気味に答える。少年に戻ったようだ。

沖縄から帰るとすぐに、パラグライダースクールへ入校した。
夏のスキー場のような草の斜面で、汗だくの練習が続く。
雨の日は、教室で座学。筆記試験も受けた。

それから6年。
55歳の僕は今、雲と同じ高さを一人で飛んでいる。
パラグライダーにエンジンはついていない。
山頂の離陸場からテイクオフして、上昇気流に乗って上がって来たんだ。
後から離陸した仲間が、こっちへ向かってくる。
高度差があるから、ぶつかる心配はない。
僕の真下を通過していく。

空から見る地面は、2次元の平面だ。
人が、地面に張り付いて生きているように見える。
墜落の心配がない代わりに、上昇も下降も滑空もない。安定の世界。
長くいると、心が淀んでいく気がして、今日も飛びに来てしまった。

辛そうに生きている人を見ると、「飛べばいいのに。」と思う。
生と死が隣り合わせの世界だからこそ生で感じる「今、生きている」感覚。
空の上では、実年齢なんか関係ない、
心が少年なら、少年なんだ。

イタリア空軍のエースだったポルコがなぜ豚になったかは知らないけど、
言いたいことはわかる。
「やりたいことをやらないジジイは、ただのジジイだぜ。
いつまでも少年でいたかったら、やりたいことをやりな。」

何歳でも、遅くはない。
髪が薄くなろうが、腹が出ようが、豚になろうが関係ない。
やりたいことを、やる。
楽しんで、笑って生きる。

いつか、この身体が、動けなくなった時。
意識が遠くなって、
自分の人生が走馬灯のように見えた時、
「いろんなことしたな。楽しかったな。」
って、笑えるように。

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