骨盤骨折リハビリ体験記。Part.8【フラッシュバック/移乗試験】

骨盤骨折リハビリ体験記

フラッシュバック。

消灯後の病室。窓からの月灯りで白い天井を見上げている。
もうすぐ、日付が変わる。
そっか。怪我してちょうど1ヶ月。経つんだな。

そう思った途端、墜落の瞬間に意識が飛ぶ。
またか。何度目だよ。もういいよ。
抑えようとしても、脳内スクリーンに再現映像を映し出されてしまう。
鮮明に。

下からの風に煽られて、着陸場に降りられない。通り越したら崖の上。
Uターンしたけど、やっぱり降りられない。また通り越してしまった。
高度10mくらいで2度目のUターン。
直後に見えたのは、凄いスピードで迫る地面だった。
ヤバイ。地面に突き刺さる。
走れる角度じゃない。足から落ちたら両足骨折。膝から骨が飛び出すだろう。
腰から落下。衝撃の勢いで前転して、顔面から地面に突っ込んで止まった。

骨盤と仙骨が割れて、背骨も潰れた。前歯も折れた。
あの選択は、正しかったのかな。

激痛で開けた目に見えたのは、ヘルメット内側の白。緑の草。黒い土。
腰から下が石の塊になったような凄い違和感。
これ、死ぬかもな。
腰の骨折は間違いない。内臓も無事じゃないだろう。
もうすぐ、破裂した内臓液で腹が膨れて吐血して、気道と肺が血で詰まって呼吸ができなくなる。
心臓が止まるのはその後かな。

救急車が来た頃にはもう手遅れだな。長く苦しむことはなさそうだ。
なんだよ。意外と冷静だな。

心臓が止まっても、脳の機能が完全に無くなるまでは意識あるのかな。
視覚信号を脳が受信できなくなって見えなくなるまで、目は開けておこう。
土と草しか見えないけど、暗闇よりはいい。
最後に見えるものって、こんな物なんだな。
俺の人生、これで終わりか。
思ってたより、あっけないな……。

左足がピクっと動いて、我に返った。
墜落した夏の山から、病院のベッドに戻ってきた。
生きてる。足もある。

あの時、足から落ちてたら、両足とも切断されたかもしれない。
昨日も、リハビリ室に両足のない人がいたな。
両足義足か。
この足がないなんて……。怖すぎる。

今、生きてるんだから、足があるんだから、腰から落ちて正解だったんだ。きっと。

あれからもう、1ヶ月経つんだな。
でも、まだ1カ月。リハビリは始まったばかりだ。
いつまで続くんだろう。
そもそも、リハビリにゴールなんて、あるのかな。

頑張るしかないけど。

歩行練習。

長い夜が明けた。また朝が来た。

リハビリ室。
マッサージ台で仰向け。歩くための筋力を意識して鍛える練習から始まった。
「お尻の穴を閉めてみて下さい。歩く時に使うお尻の筋肉が動きます。」
はい。
ああ、これか。
尻に力を入れると、左右の大きさが違うのがわかる。こんなに違うんだな。
左尻の肉がない。おじいちゃんみたいだ。
固定されて身動きできないと、筋肉って、こんなに減るんだな。
いっぱい食べて、動かさなきゃな。

平行棒に移動して左足荷重。
今日も体重の3分の1。26kgだ。
体重計の針を見ながら左足を載せていく。
弱った筋肉に血が流れるのがわかる。
荷重を増やすと、ふくらはぎの筋肉が血流で熱くなる。
こんなに細くなったのに、精一杯頑張ってるんだな。
傷ついた神経が圧迫されて、針金のような痛みが走る。

「ご自分で、今の感覚を覚えて下さい。体重計がなくてもわかるように。」
はい。
体重計を外して、床に付けた左足に体重をかけていく。
26kg荷重した時の熱。痛み。圧力になるまで、もう少しかな。
数値が見えないと怖いな。あのカミナリが落ちそう。

「左足に荷重し過ぎないように、歩いてみてください。」
はい。
両腕で平行棒を持って体重を支えて、歩いてみる。
右足は全荷重。左足は最大26kg。
こんな歩き方はしたことがない。
左足にカミナリ電流が走るのが怖いけど、感覚を思い出して歩く。
3mの平行棒を1往復。歩けた。

また一歩、前に進めた。

移乗試験。

病室に戻ると、看護師さんが来た。
「〇〇さん、いじょう試験しましょうか?」
いじょう。ですか?

「移動の移と乗車の乗で移乗です。ベッドから車椅子への移動が、お一人で安全にできるかを見ます。リハビリ担当のPT(理学療法士)さんからの提案を受けて、看護師が確認します。合格すると、トイレに一人で行けるようになりますよ。」
お願いします。

ベッドに横付けされた車椅子。アームレストを押して、ブレーキがかかっていることを確認する。
ベッドの枠を持って立ちあがる。重心は右足。左足の荷重は1/3以下になるように気をつけて、車椅子のアームレストを掴む。
ベッドの手すりから手を放して、右足を軸に身体を回転。両腕で車椅子のアームレストを握って、尻を降ろしていく。
座れた。

「できますね。」
僕がよろけたら支えられる体勢で見守ってくれた看護師さんが、微笑んでくれた。

「トイレに行ってみましょうか。」
はい。
車椅子のタイヤを回して、病院のトイレへ向かう。
カーテンを開いて車椅子を便器に横付け。
ブレーキをかけて、トイレの手すりを掴んで、右足重心でトイレへ。
座れた。

「できますね。ベッドに戻りましょうか。」
車椅子で病室へ戻り、ベッドに移る。
近くで見守る看護師さんはもう、サポートの姿勢になっていない。

「合格です。おめでとうございます。」
ありがとうございます。

「お一人で移乗できることを確認できましたので、朝食後から消灯時刻までの車椅子移動を許可します。消灯後はこれまで通り看護師が付き添いますので、ナースコールして下さいね。」
はい。
朝食後から消灯まで、病室階の移動が一人でできるようになった。
嬉しい。

車椅子入浴。

「お風呂行きましょうか。」
いつも3人がかりで青いストレッチャーを運んで来る看護師さんが、今夜は1人で青い車椅子を押して来た。
「これに移れる?」
はい。
一人で車椅子に移れた。
「回復早いね。凄いよ。」
ありがとうございます。

脱衣所に着いた。
「自分で服脱げるかな。」
脱げます。
上を脱いで脱衣籠へ。ズボンも、トイレと同じ要領で脱げた。
女性の看護師さんの前で全裸での車椅子は、まだ恥ずかしい。
脱いだ服を棚の籠へ入れて浴室へ。
銭湯みたいに鏡が並ぶ洗い場に車椅子を寄せる。
「自分で洗えるかな。」
やってみます。

シャワーヘッドは、車椅子でも手が届く位置にセットされていた。
お湯の温度を確認して、自分で身体にお湯をかける。
左腕から、頭、顔、胸、腹、足。
自分でお湯をかけられるっていいな。
膝から下を洗おうとして身体を曲げると、腰と背中に痛みが走った。
これ以上は曲げられないか。
でも、どうにかして自分で足先まで洗いたい。
洗面台に足を載せて、腕を伸ばしてみる。届いた。
痛いけど、なんとか洗えた。

「今日はシャワーだけね。湯船はまだ。滑ると危ないから。」
洗い流したシャンプーや石鹸で、濡れたタイル床がぬるぬるしてる。
そうだよな。床は固そうだし、滑って転んだら大変だ。

患者の回復に合わせて考えられてるんだな。ありがたい。

身体を拭いてベッドに戻ると、ほっとする。
お湯で温まったし、髪も顔も洗えてさっぱりしてる。気持ちいいな。
自分でシャワーを浴びられるようになったのは嬉しいけど、車椅子で座ってる間ずっと右太腿が痛いから、ゆっくりはできない。
お湯の中で身体を伸ばしている時間は痛くなかったな。
頑張って、また湯船に入れるようになれるといいな。

ベッドで仰向けになると、左足がピクピク動き出した。
左の腰と左足が痛い。
痛み止め飲んだのに、効かないな。飲む意味あるのかな。

でも今日また、できることが増えた。
少しづつ、一歩づつだけど、前に進めてる。
「凄いね」って褒めてもらえた。
リハビリ初めてだけど、順調な気がする。
2歩下がる日も来るだろうけど、多分、これでいいんだ。
頑張ろ。

エレベーター試験。

数日後、リハビリ室から病室に戻ると、看護師さんが来た。
「リハビリ順調みたいですね。今日、エレベーター試験しましょうか。」
はい。

「ここは整形外科の患者さんが入院されてる階なんですけど、エレベーターは脳梗塞で半身麻痺の患者さんも利用されます。ご自分はもちろん、他の患者さんを気遣って安全に乗れるかを見ます。」
お願いします。

看護師さんと一緒に、車椅子でエレベーターを待つ。
車椅子で乗り込んで向きを変えて、開ボタンを押す。
乗り遅れた人はいないみたいだ。
一緒に乗った杖を持ったおばあちゃんがエレベーター内の手すりを握ったのを確認して、
ボタンから指を放す。
1Fに着いた。
おばあちゃんが降りたのを確認して、自分も降りる。

上がるエレベーターが来た。
先に乗って、開ボタンを押す。
両足義足の人が2本杖で乗り終わるのを待つ。
何階ですか?
「4階お願いします。」
はい。
3と4を押して開ボタンから指を放す。
3Fに着いた。
降ります。
声をかけて、車椅子で降りた。

「合格です。今みたいに、他の方に配慮して使ってください。朝10時からのエレベーター移動を許可します。夕方、看護師が全病室を廻って患者さんを確認しますので、17時には病室に居るようにしてください。行方不明にならないようにお願いします(笑)」
わかりました(笑)。

1人でエレベーターに乗れる。
病室のある階だけじゃなくて、他の階にも行けるんだ。
これで、自主トレができるな。

早速、リハビリ室に行ってみた。
他の患者さんをサポートしていたT塚さんが、手を上げて挨拶してくれた。

開いている平行棒に車椅子を寄せて、立ってみる。
3回。できた。
片足の人、両足のない人が歩いている。
みんな、頑張ってるんだな。
頑張ろ。

散髪。

今日から4日間、PTさんの夏休みだ。
リハビリ室に行ってみたけど、閉まっていた。
中を覗いても、明かりが消されていて暗い。誰もいない。シーンとしている。
時間が止まったみたいだ。
何もすることがない。

ふと、床屋さんの看板が見えた。
そう言えば、髪が伸びてる。耳にかかって煩いと思っていたところだった。
車椅子を入口に寄せて、声をかけてみた。

あの、散髪お願いできますか?
「今日は、2時なら空いてるよ。」
じゃあ、それでお願いします。

昼食後、再来店。
「いらっしゃい。ここへ座れるかな。」
理容用の椅子は、ベッドやトイレより座面が高い。
座れると思います。やってみます。

車椅子のブレーキをかけて、理容椅子のひじ掛けを掴んで、よじ登るように座る。
思ったより座面が固いな。
筋肉の薄くなった尻が痛い。右太腿も痛い。これじゃ、長く座ってられないな。
車椅子のクッションを尻の下に敷いてもらった。
痛いけど、少し楽になった。

伸びた髪が切られていく。
耳のすぐ近くに、刈り上げるハサミの音。櫛の感覚。
熟練の技を感じる。
この人、本物だ。いい腕してる。

僕の実家も床屋だった。
小学生の頃から、両親に理容ハサミの使い方を教えてもらった。
使わなくなった古いハサミをもらって練習したな。
3本の指で下の刃を固定して、親指だけで上の刃を動かす。
懐かしい。
あのまま、家を継いで理容師になる道もあったんだよな。

大学進学を理由に19歳で家を出て、そのまま帰らなかった。
家を出なかったら、こんな怪我もしてないかもな。

後悔はしてない。
家を出たことも。空を飛んだことも。
大怪我したけど、たくさんの人に助けてもらって今、床屋の椅子に座れるようになったんだ。

大丈夫。きっとまた、歩けるようになる。
頑張ろ。

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