骨盤骨折リハビリ体験記。Part.3【集中治療室/3回目の手術】

骨盤骨折リハビリ体験記

3回目の手術(腸骨プレート接合)。

やっと、手術日の朝が来た。
痛いのは嫌だけど、今日を待ってた。
長かったな。

ベッドで身動きできない、天井を見上げるだけの時間はもう嫌だ。
この手術が終わったらどうなるのかわからないけど、何か変わるはず。
変わるなら、痛くても辛くてもいい。
とにかく、前に進みたいんだ。

「レントゲン撮りますね。」
放射線技師さんかな。
EICUの看護師さんとは違う色のユニフォームが2人。
器材と、厚みのある板を持って来た。
腰の下に差し込もうとしている。

あの、ちょっと待って下さい。
腰の下に固い板が差し込まれる。背中が曲がる。頭が落ちる。
痛いです。無理です。

「でも撮らないと、手術できませんから。」
やめてもらえない。
無理に差し込まれた板で、やっぱり、折れた骨がズレた。

ぐあっ。
「どうしました?」
いえ、もう、いいです。

そこ骨折してるのに、もうちょっと優しくしてもらえないかな。
けど、他に方法がないんだろう。
ストレッチャーでレントゲン室に運ばれて「1,2,3!」の掛け声であの固い台に移されたら・・・その方が痛い。
移動の痛みを最小限にするために、重い器材を運んで来てくれたんだ。
ありがとうございます。
不満そうな顔してごめんなさい。
反省します。

「CT室へ移動しますね。」
はい。
やっぱり、CTも撮るんだ。
結局、移動か。

ベッドごと押されて、EICUを出る。
廊下、エレベーター、CT室。
院内だけど、見える景色が変わるのは嬉しい。

幅の狭いCT台に移動される気配がする。
骨がズレる痛みを覚悟して目を閉じる。
「移しますよ~。1,2,3」
痛くなかった。
CTは2回目だけど、そういえば、1回目も痛くなかった。
息が揃ってるのか、特別な訓練を受けているのかな。
ありがたい。

先生が、モニター画像で手術内容を説明してくれた。
妻もいる。
遠いのに、来てくれたんだね。ありがとう。

「これが腸骨。骨盤の一番大きな骨です。左側が割れて上にズレてるの、見えますか?
3cmくらいズレてるのを、元の位置に戻してプレートで固定します。
左側の仙骨、恥骨、座骨も折れて、形変わっちゃってるでしょ。腸骨を留めれば全部元の位置に戻る  から下は留めなくてもいいと思うんだけど、やってみなきゃわからない。透き間が埋まらなければ、座骨もプレートで固定します。大量に出血すると思うから、輸血も準備してます。同意書サインして下さいね。」

そんなに大きい金属が埋め込まれたら、飛行機乗る時、鳴ったりするんですかね。
「チタンだから鳴らないと思うけど、高性能の金属探知機なら反応するかもね。」
念のため、レントゲン写真持って行けばいいですね(笑)。
「そうだね(笑)。」
笑ってくれた。
この先生なら大丈夫。きっと、成功させてくれる。

「もう、歩ける気でいる(笑)。」
妻も、笑ってくれた。

なんか、大丈夫な気がする。
きっと、大丈夫だ。
歩けるようになったら、この前キャンセルした沖縄に行こう。
リハビリ。頑張らなきゃな。

手術室に運ばれた。
「麻酔かけてから、手術台に移動するからね。」
自分からお願いしようと思ってたことを、先生が言ってくれた。
手術台への移動の痛み。感じないで済むんだ。
ありがたい。

腕に麻酔薬の痛みを感じて、目を閉じる。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。

サイボーグ?

うるさい。

全身麻酔から起こされる時の、正直な感想だ。
耳元でそんなに大きな声出さなくても、聞こえてます。
そうか。手術。終わったんだな。

腰が痛い。うわっ。めっちゃ痛い。

「〇〇さん!手術終わりましたよ!聞こえますか?」
聞こえます。あの、すごく痛いので、眠らせて下さい。痛いので。
「意識戻ったね。じゃあ、もう一回眠ろうか。」
はい。お願いします。眠らせて・・・ください・・・。

目が覚めたら、白い天井。EICUだ。
腰の痛みは、半分くらいになってる。
さっきは、痛かったな。

左腕に点滴。
フリーの右手で、腹から下を触ってみる。

腰に刺されていた金蔵棒がない。
目で確認する。
膝を貫通していた金属棒もない。
左足の固定具も、    ない。

身体に繋がってる線はまだあるけど、人間らしい体に戻った。
もう、サイボーグじゃないんだ。
嬉しい。

先生が、手術の説明をしてくれた。
「腸骨のプレート接合だけで済んだよ。座骨は触ってない。そのうちくっつくと思うよ。リハビリ頑張って。」

ありがとうございます。

レントゲン写真。
20cmくらいの板状のプレートが、左右の骨盤を繋いでいる。
同じ長さの太いボルトが2本、プレートと平行に埋められている。
左右2本づつ、計4本の釘が腸骨に打ち込まれてプレートを固定している。
凄い技術だ。
やっぱり、サイボーグだな。

でも、左右対称じゃないよな。
左側の座骨の位置が、右より高い。
気になるけど、きっと大丈夫なんだろう。

「800cc。輸血もしたからね。」
広島と愛媛の男性の血液らしい。

今、僕の血管を、知らない人の血が流れてるんだ。
なんか、不思議な感じ。違う人になったみたいだ。
ありがとうございます。おかげで、生き延びました。
見ず知らずの人だけど、命の恩人だな。
ありがたい。

初めてのリハビリ。

「ベッド替えますね~。」
看護師さんが3人、新しいベッドを押して来た。
また、あの痛みが来る。嫌だな。
胸の前で腕を交差して、身体を固めて目を閉じる。

「移動します。1,2,3!」

痛くなかった。
手術前は6人の移動でも凄く痛かったのに、3人で移動されても痛くなかった。
天国だ。

「リハビリ始めますよ。」
怖い。何するんだろう。
「このベッド凄いんですよ。このまま座れるんです。」
意味がわからない。
「やってみましょうね。」

ボタンを押すと、ベッドの背中が起きていく。ベッドの真ん中が、下がっていく。
看護師さんが背中を支えてくれてる。
時間をかけて、座る姿勢になった。

5日間固定されていた左足が細くなってる。
手術前は、金属棒が貫通していた膝を曲げていく。
痛い。
右足は曲がるのに、左足は少し動くだけで痛い。
なんだこれ。

筋肉痛。神経痛。関節痛。骨の痛み。全部かな。
座るだけでこんなに痛いのに、歩けるようになるのかな。
歩けるまで、何カ月かかるんだろう。
ゴールが、限りなく遠く感じる。

でも座れた。嬉しい。
痛いけど、一歩前に進めた気がする。

頑張ろ。

車椅子。

「車椅子。乗ってみましょうか。」
あ、はい。

乗れるのかな。
ベッドサイドに運ばれた車椅子。
病院でよく見る、見慣れたやつじゃない。黒くて、立派な感じ。
リクライニング機能付き?なのかな。
シートや背もたれ、ヘッドレストに厚みがあって、柔らかそうだ。
ホーキング博士の車椅子に似てるな。
これならいけるかも。
やってみます。

ベッドをチェアモードにして、背中を起こしてもらう。
痛いけど、左膝を少しずつ曲げていく。
座る姿勢になった。

「支えるので、移動してみてください。」
はい。
看護師さんに支えられながらベッドに両手をついて、尻を滑らせる。
動くと痛いな。
腰の左側から足先まで、左は全部痛い。
左足を浮かせて、当たらないように注意して、右足と両手で這うように動く。

ベッドの左脇に置かれた車椅子。
遠いな。
すぐそこなのに。

ベッドサイドまで来た。
左手で車椅子のアームレストを掴む。
もう一息だ。

看護師さんに支えられて、右足を床に着く。
痛い左足を浮かせて、尻を滑らせる。
座れた。

左足が痛くて、降ろせないです。
「角度つけますね。」
左のフットレストを上げてくれた。
グリーン車の足置きみたいに、角度が調節できるんだな。左右別々に。
倒してもらった背もたれに体重を預けたら、楽になった。

「座れましたね。」
看護師さんが微笑んでくれた。
はい。ありがとうございます。

座ってる。
車椅子に座ってる。
移動できたんだ。
見える景色が違う。
左足は痛いけど、膝はほとんど曲げてない。前に投げ出す姿勢なら痛みが少ないんだな。
シートや背もたれも優しいし。
このまま、どこまでも行ける気がする。

ちょっとだけ、動かしてもいいですか?
「いいですよ。」
ブレーキ解除は、これかな。
両手で左右の車輪を回してみる。

前に動いた。
止まれた。
バックもできた。

嬉しい。

たった50cm。
前後に動いただけなのに。
動けるって、嬉しいんだな。

「車椅子に座れるようになって、よかったですね。」
はい。ありがとうございます。

また一つ、前に進めた。
こうやって、少しづつ進めればいい。
痛いけど、大丈夫。きっとまた、歩けるようになる。

頑張ろ。

カテーテル。

 手術から日が経つごとに、身体に着けられた管が外されていく。

「心臓のカテーテル。外しますね。」
はい。

若い先生が、首の右側に貼ってあるものを剥がしてる。
今、心臓の中まで入ってる管を抜かれてるんだ。
失敗したらどうなるんだろう。見えなくて、怖い。

「終わりました。」
ありがとうございます。

意外と早かったな。痛くもなかった。
カテーテルを抜いた首に絆創膏のようなものを貼ってくれた。明日には剝がしてくれるらしい。
心臓カテーテル抜くって、こんな感じなんだな。

右手首の動脈カテーテル(Aライン)も抜いてもらった。
意外とあっさり。
痛くなかった。

首と右手首の管がなくなった。
管だらけの重篤患者から、普通の入院患者になれた気がする。
嬉しい。

「尿道の管、抜きますね。」
はい。
そうだ。これが残ってた。痛そうだな。
覚悟して、目を閉じる。
尿道に差しこまれた管が抜かれていく感覚が、リアル過ぎる。

「終わりましたよ。」
ありがとうございます。
心配したほどの痛みじゃなくて、よかったな。

「尿瓶はここにかけておきますね。おしっこ採れたら、ナースコールで教えて下さいね。」
わかりました。
ベッドに寝たまま自分で採るんだ。こぼさないようにしなきゃ。

導尿。

夜、何度か尿意を催した。
その度に尿瓶に出そうとするけど、出ない。

「おしっこ出ましたか?」
まだ、出ないです。
結局、朝まで出なかった。

先生が来た。
「おしっこ出ないの? エコーで膀胱の尿量調べて、300ml以上あったら導尿するからね。」

あの、導尿って。
「骨盤骨折の患者さんは、よくあるんだよ。大丈夫。出してあげるから。」

怖いんですけど。
「大丈夫だよ。昨日抜いた管入れる時よりは、痛くないから。」

管を入れられたのは1回目の手術中だ。麻酔で眠ってたから、覚えてないけどな。

エコーが始まった。下腹部に塗られたゼリーが冷たい。
「300ml越えてますね。導尿の準備してきます。」
はい。
怖いけど、耐えるしかない。

看護師さんが準備を始めた。
お腹の上にカーテンをかけられて、下半身が見えない。

消毒されてる。
尿道に何か差し込まれた。
どんどん入っていく。
深く。奥へ。

うわっ。マジか。ちょっと待ってくれ。ぐあっ!

痛いとか気持ち悪いとかを越えた、経験したことのない不快感。
もう、耐えられないよ。
と思った瞬間、尿が噴き出した。
音と、感覚でわかった。

膀胱がしぼんて小さくなっていく。
溜まった尿が一気に出たんだな。
ありがとうございます。
いつも汚いことしてもらって、ごめんなさい。

閉じてしまった尿道にカテーテルを差し込んで、バルーンを膨らませて開いてくれたらしい。
ありがたい。
もう、二度としたくないけど。

数時間後、尿意を覚えた。
ベッドの、この辺に尿瓶がかけてあったはず。
ない。

慌ててナースコールを押した。
「どうされました?」
尿瓶がないんです。
「出ますか?」
出ます!
なんで片づけちゃうかな。

持って来てくれた。
急いで尿道にあてる。
もう、導尿なんかしたくないんだ。頼む。出てくれ。

出た。

じょろじょろと、取っ手のついたプラスチック容器に尿が流れていく。
管が抜かれて最初に出す時、すごく痛いって聞いてたけど、痛くなかった。
導尿してもらったからかな。
ありがたい。

初めてベッドでしたけど、うまく採れた。ほんのり匂う。
ナースコールを押す。

「出ましたね。おめでとうございます。」
ありがとうございます。
よかった。

排尿できるって、当たり前じゃないんだな。
尿瓶が片づけられてたってことは、次も導尿で出す予定だったんだ。
1回で済んでよかった。
もう、あんな思いをしなくていいんだ。
それだけで、天国だな。

また、一歩進めた。
ふぅ。
思わず、ため息が出る。

頑張ろ。

歯科治療。

EICUは面会禁止。
コロナ禍になる前からだ。
重症なんだから仕方ないけど、家族にも会えないのは辛い。

でもその分、病院の皆さんが代わる代わる声をかけてくれる。
「〇〇さん、お痛みいかがですか?」
「我慢しなくていいんですよ。」
「声かけてくださいね。」
ありがたい。

看護師さんは3交代制。
8時間ごとに挨拶に来てくれる。
「今日担当の〇〇です。よろしくお願いします。」
こちらこそ、よろしくお願いします。

先生も、たくさん来てくれる。
整形外科の先生だけで4人。
救命処置、創外固定、腰椎手術、骨盤接合手術。
それぞれ担当があるみたいだけど、骨盤接合の教授が総括されてる。

精神科の先生もいる。
「具合いかがですか?」
痛みはありますけど、おかげさまで、だいぶ楽になりました。
「お大事に。」
何気ない会話で、患者の心の安定を診てくれてるんだろう。
ありがたい。

若い男の先生が入って来た。
「歯科医の〇〇です。歯を見せてもらえますか?」
はい。
口を開ける。
歯医者さんまでいるんだ。凄いな。

「前歯、折れちゃってますね。パラグライダーで墜落?痛かったですね。しばらく歯医者に行けないでしょうから処置しましょう。折れたままで時間が経つのは、良くないので。」
お願いします。

先生と看護師さんがベッドを押して、歯科治療室へ向かう。
「このベッド、この前入った最新型ですね。1,000万円するらしいですよ。」

1,000万円?スーパーカーですね。
「そうですね(笑)。」
笑ってくれた。
国立の大学病院って凄いな。やっぱり。

歯科治療室で折れた前歯を削ってもらった。
「はい。これでしばらく持ちます。歯科医院へ行けるようになったら治療してもらって下さい。」
ありがとうございました。

EICUに戻った。慌ただしい雰囲気。
看護師さんが動きながら、赤いストラップのPHSで話してる。
救命救急が必要な患者が救急車で病院へ向かってるらしい。

「行きましょう。」
歯科医の先生と看護師さんが顔を見合わせて、出て行く。
その表情と後ろ姿がカッコいい。
戦隊ヒーローみたいだ。
こんな人達に守ってもらったんだな。
ありがたい。

僕は、自分ができることを頑張ろう。
まずはリハビリ。
歩けるようになって、自分の足で歯医者へ行くんだ。
新しい目標ができた。

頑張ろ。

差し込み便器。

EICUを離れる日が来た。
ここへ運ばれて2週間。やっと、一般病棟へ移れる。

「一般病棟は、看護師が少ないです。一人で数多くの患者さんを担当するので、今までみたいな看護はできません。」
わかりました。
そこまで回復した証拠だな。ありがたい。

「差し込み便器。使ってみますか?」
EICUで最後の担当看護師さんが、勧めてくれた。

「お尻の下に差し込んで、していただきます。ちょっとだけ腰を浮かせてもらう必要があるんですけど、〇〇さん、もういけるんじゃないかと思って。排便されたらすぐお尻を拭けるので、気持ち悪さが減ると思いますよ。」
お願いします。

持ってきてくれた。
箒で履いたゴミを集める、チリ取りみたいだな。
右足で腰を浮かすと、差し込んでくれた。
固い。
尻の下に狭い空間を感じる。
腰が5cmくらい浮いて、身体が弓形にしなる。
左足は痛くて体重をかけられないから、右足だけでバランスをとってる。
力が抜けない。
こんな体制で、できるかな。

できるはず。
越えられない壁はない。
一つづつ乗り越えて、前に進むんだ。

天井を睨んで、下半身をリラックスして、力んでみる。
出ない。

難しいな。もう一回。
出た。
ナースコールを押す。

「出ました?ちょっと確認しますね。」
こぼれてないですか?

「あっ。上手に出てますよ。大丈夫です。もう、拭いてもいいですか?」
お願いします。
右足で腰を浮かすと、汚れた尻を拭いて、便器を抜いてくれた。
ありがたい。

たぶん、20代だろう。明るい声と笑顔。
癒される。
こんな過酷な職場で、凄いストレスのはずなのに、凄いよな。
僕の半分しか生きてないのに。尊敬する。

「よくできましたね。」
褒めてもらうと嬉しい。子供だな。自分が幼稚に思える。
でも本当に、ありがたい。

「病棟の準備できましたよ。移動しましょうか。」
お願いします。

「ドクターヘリで運ばれた〇〇さんが凄く回復したって、EICUで話題になってますよ。みんな、喜んでます。」
ありがたいです。あの、褥創予防で夜中に持ち上げてもらった時、凄く痛くて、両腕でシーツを叩いたことがあるんです。あの時、看護師さんの腕も叩いてたと思います。助けてくれてるのに、本当に申し訳なくて。皆さんに謝りたいんですけど、どうしたらいいですか?

「看護師にはもう充分伝わってますよ。〇〇さんが酷い痛みに耐えて頑張ってるのを毎日見てるんですから。私たちは、患者さんが元気になってくれるのが、一番嬉しいんですよ。」
ありがたい。

ベッドが押されて、EICUの通路を動いて行く。
お世話になった先生、看護師さん達が微笑んで、目線を送ってくれる。
「回復して良かったですね。」
「お大事に。」
声をかけてくれる人もいる。

ありがとうございます。皆さんのおかげです。お世話になりました。

ここから出られる喜びと、この人達と離れる寂しさ。
複雑に絡んで、涙が出そうになる。

EICUの外に出た。
病院の廊下。
エレベーター。
整形外科病棟の入口。
ナースステーション。

「〇〇さん、56歳。パラグライダーで墜落。腰椎の圧迫骨折と骨盤輪骨折の患者さんです。プレート接合手術後、容体が安定したのでEICUからお連れしました。よろしくお願いします。」
明るい声で、引継ぎしてくれた。
ありがたい。

個室に入った。
「移動します。1,2,3!」
新しいベッドに移された。

「じゃあ、私はこれで失礼します。リハビリ、頑張って下さいね。」
笑顔で、手を振ってくれた。

ありがとうございます。
本当に、お世話になりました。

頑張ります。

窓。

「何かあったら、ナースコールしてくださいね。」
はい。ありがとうございます。
白いスライドドアが閉まった。

初めての部屋に一人。音がしない。
静かだな。

EICUは隣の患者との間はカーテン1枚だったから、いろんな音がしてた。
昼間は足側のカーテンは開いてるし、夜も看護師さんの声が聞こえてた。
全然違うんだな。

窓がある。
病院の外壁と青空が見える。
白い雲がゆっくり、形を変えて流れていく。
綺麗だな。

窓のない部屋でずっと天井を眺めていたから、嬉しい。
部屋に窓があるっていいな。外が見えるって幸せだな。
しばらく、眺めていた。

2週間前は上昇気流に乗って、あの雲の高さを飛んでた。
嘘みたいだな。

やっぱり、行っちゃいけない場所だったのかな。
いや、雲まで上がれたのは初めてじゃないし、仲間も一緒に飛んでた。
落ちたのは自分の操縦ミス。練習不足のせいだ。関係ない。

助かったけど、
もう、飛べないよな。

理学療法士さん。

「こんにちは.。失礼します。」
はい。
「理学療法士の〇〇です。よろしくお願いします。」

Physical Therapist。略してPT。運動機能リハビリ担当の方だ。
30台中頃くらい? 爽やかなイケメンだな。
よろしくお願いします。

「今日、腰椎の手術から11日。骨盤輪のプレート接合手術から7日目ですから、右足で立つ練習を始めましょう。左足はあと2週間は床につけませんので、今日は右足だけです。頑張りましょう。」
はい。
「いま一番、できたらいいなって思うこと、ありますか?」

自分でトイレに行きたいです。

素直な気持ちだった。
おむつ交換も差し込み便器もありがたいけど、自分でしたい。
看護師さんに拭いてもらうんじゃなくて、温水洗浄便座に座って、自分でパンツを上げて、ベッドに戻りたい。
今の僕には、無理かもしれないけど。

「やってみましょうか。」
はい。
ベッドの左側に車椅子をつけてくれた。
「まず、これに移動して、トイレへ行きましょう。」
はい。
できるかも。

一般病棟のベッドにチェア機能はない。
寝た状態から上半身を起こして、両腕で尻を滑らせる。
痛い左足の膝を曲げて、ベッドに踵をついて、もう一息。

ぐあっ。
左の腰から踵まで、雷に打たれたような痛みが走った。

「大丈夫ですか?」
今、左足の外側全部に、電気が走りました。
「坐骨神経が傷ついてるんですね。左足に体重かけないように注意しましょう。」
はい。

両腕で少しづつ尻を滑らせて、ベッドサイドに座る。
右足を床に下ろして車椅子を掴む。
「支えてるから大丈夫ですよ。移動しましょう。」
行きます。

車椅子に座れた。
左足のフットレストを上げてもらって個室のトイレに向かう。
トイレの手すりを持って右足で立ち上がる。
トイレに座るには身体を反転させる必要があるけど、手すりは縦に一本しかない。
両腕で持って反転しようとしたら、バランスを崩して左足が床に着いてしまった。

ぐあっ。
また、雷に打たれたような痛み。

「ちょっと、厳しそうですね。」
支えられて車椅子に戻った。

あと70cm。
もう少しなのに、トイレに座れなかった。
悔しい。

「まずは、ポータブルトイレにしましょう。」
はい。
ベッドサイドに、持ってきてくれた。
普通のアームレスト付きの椅子に見えるけど、シートを上げると洋式トイレになる。
水で流せないから、看護師さんに迷惑かけるんだろうな。
申し訳ない。

「今日はこれで失礼します。次は明後日来ます。」
ありがとうございました。

その日、ポータブルトイレを使ってみた。
看護師さんに支えてもらって座れたけど、左の腰と左足の痛みを我慢して両手で支えるのが精いっぱいだ。
尻が拭けない。
腕がもう一本あればいいのに。

仕方なく、ナースコールを押す。
両手と右足で中腰になって、看護師さんに尻を拭いてもらった。
申し訳ない。

温水洗浄トイレでしたかったな。
でも、オムツよりはいいか。
差し込み便器よりもいい。
ベッドに寝たままじゃなくて、座ってできるようになったんだ。
また一歩、前に進めた。

いつか、自分でトイレに行けるようになる。
新しい目標ができた。

頑張ろ。

眠れない夜。

夜になった。
眠れない。

プシュー、プシュー。
無音の病室に、ふくらはぎのエアポンプの音が響いてる。
他に音がないと、大きい音に感じるんだな。

「緩めたり外したりはできないです。血栓が肺に飛ぶと死んじゃうので。」
EICUの女医さんの言葉を思い出す。
今、これが命を繋いでくれてるんだ。
眠ってる間に停電になったら、死ぬのかな。

ダメだ。
暗闇に一人だと気持ちが落ち込む。
眠ってしまおう。
呼吸をゆっくりにして、全身の力を抜いて目を閉じる。

眠れない。

ポンプに圧縮されて、左足が痛い。
今日2回も、雷みたいな痛みが走った。
ほんの少し体重をかけただけで、あんなに痛いんだ。
骨折したのは骨盤と腰椎なのに。足は患部じゃないのにな。

そういえば、墜落した草の斜面に寝かされた時、左足外側に凄い熱さを感じた。
熱したフライパンに寝かされたような、耐えられない熱さ。
思わず叫んだ。
出血してるのかって怖かったけど、坐骨神経が傷ついてたんだな。

リハビリか。雷みたいに痛いのに、どうやるんだろう。
こんなんで、歩けるようになるのかな。
やっぱり、無理なのかな。

目を閉じているのに、黒い雲が押し寄せて来た。
不安の象徴か。
空を覆い尽して、僅かに残る明るさまで消されてしまいそうだ。

 「リハビリ、頑張って下さいね。」
看護師さんの声を思い出した。
「私たちは、患者さんがよくなってくれるのが、一番嬉しいんですよ。」
本当に、天使みたいだったな。

風が吹いて、黒い雲が吹き飛ばされていく。
心の奥から、自分の声がする。

あんなに大勢の人に助けてもらったのに、何を心配してんだ。
一つ間違えたら、死んでたんだぞ。

足から落ちたら、両足切断だったかも知れない。
サポーターパンツ履いてなかったら、内臓破裂してたかも。
ヘルメットにチンガード付けてなかったら、顔面骨折して失明してたかも知れない。
奇跡的に幸運が重なったから、ここまで回復できたんだ。

一度死んだと思えば怖いものなんかない。
EICUで回復して、やっと一般病棟に移れたんじゃないか。
あとは良くなるだけだ。

「歩けるようになるよ。」
先生も言ってたじゃないか。

心配事の9割は起こらない。
絶対治る。歩けるようになる。
まず、自分が信じるんだ。

怪我は病気と同じ。
治すのは医者じゃない。自分が治すんだ。

先生やPTさんはサポートしてくれるだけ。
どこまで治るかなんて誰にもわからないんだから、限界なんか勝手に決めるな。
前例がないなら、作ればいい。
「この患者が、ここまで回復しました。」
助けてくれた先生が学会で発表できる症例に、自分がなればいい。

大丈夫。
ここまで来れたんだから、この先も行けるさ。
頑張れるよ。

だいじょうぶ。
安心すれば、眠れるよ。

おやすみ。

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