骨盤骨折リハビリ体験記 Part.2【手術/集中治療室/天国】

骨盤骨折リハビリ体験記

追加手術(腰椎圧迫骨折)。

EICUでの初めての長い夜が、やっと明けた。

男の先生が来た。
40歳くらいかな。

「○○さんね、今日、手術するから。」
今日ですか?

「骨盤の手術は週末にするんだけど、その前に腰椎の手術します。
腰椎ってね、腰まわりの背骨がひとつ潰れちゃってるから。
セメント入れて元の体積に戻してから上下の背骨にピン打って固定するの。
やっといた方が絶対いいから。」

はい。
同意するしかない。
もう、何も考えないことにした。

Aライン。

「血液採りますね~。」
看護師さんが入って来た。

両腕に点滴の針が刺さっていて動けないのに、また注射針刺されるのか。
嫌だな。

「あっ。Aライン入ってるんだ。じゃあ、ここから採りますね。」
右手首に何かあって、そこから採血できるらしい。

痛くなかった。

いいですね。ここの採血。痛くなくて。
「・・・。」

看護師さんは黙ったままだ。
なんか、変なこと言ったかな。

「あの、〇〇さん、ご自身の状況ご理解されてないみたいなので、言っときますね。Aラインって、手首の動脈に直接入れるカテーテルなんですけど、重篤の患者さんにしか入れません。
EICUって緊急に集中治療が必要な患者さんが入るとこなんですけど、Aラインが入ってる患者さんって1人か2人です。それだけ、命の危険がある患者さんってことです。
だからこれ、注意してくださいね。
動脈なので、外れたら大出血します。血液が天井まで飛ぶくらい大変なことになります。間違っても、外れるようなことはしないで下さいね。」

すみません。
思わず謝ってしまった。

「重篤」の文字を思い出す。
命が助かっただけで奇跡なのかも知れない。
今もまだ危険だから、この人達が僕の命を守ってくれてるんだ。

ありがたい。

「手術室に移動しまーす。」
ストレッチャーが運ばれてきた。
また、骨盤がズレるあの痛みが来る。
覚悟して、身体を固くする。
「1、2、3!」
ぐあっ。
やっぱり痛い。
声を出さないつもりだったけど、出てしまった。
廊下を運ばれて、エレベーターに乗る。
揺れて痛いけど、見える景色が変わるのは少し嬉しい。

「奥様にも連絡しましたからね。手術が終わるまでには来られるそうですよ。」

昨日遅くに帰ったはずなのに、今日また来るのか。
130km以上あるのに。申し訳ないな。
いっぱい迷惑かけてる。
ごめんな。

手術室に入った。
先生、看護師さん、人がたくさんいる。
「〇〇さん、頑張りましょう!」
はい。よろしくお願いします。

右腕に、全身麻酔薬が入っていく。
最初は「細くて冷たい」感覚。
だんだん「太くて痛い」に変わる。
肘から手首まで、太い針金を入れられてるようだ。

気持ち悪くなってきた。
真っ暗な深い穴に、落ちて行くようだ。

鏡。

「〇〇さん!聞こえますか~!〇〇さん!」

大きな声。
繰り返し名前を呼ばれてる。
うるさい。
そんなに大声で言わなくても聞こえるよ。
不機嫌に目を開ける。

「あっ。目開けた。〇〇さん、聞こえますか?
手術終わりましたよ。く頑張りましたね。」

看護師さんだった。

「目眩いありませんか? 吐き気とか、気持ち悪いとかは?」
大丈夫です。

切開された背中が痛いけど、泣く程じゃない。
腰椎に注入されたセメント、プレート、固定ビス。
凄い違和感を心配したけど、そうでもない。

もう少し、眠らせてください。
また眠った。

目が覚めたら、EICUのベッドに寝ていた。
またここか。
でも同じ場所じゃない。移動してる。

足の向こう側に、壁にかけられた鏡が見える。
看護師さんが帽子を確認するくらいの小さい鏡に、窓の光が映ってる。
ああ、あの窓の向こうは、外なんだな。
そう思うだけで、気が休まる。
エアコンの風で揺れるほど小さい鏡。
心の支えができた。

紙オムツ。

チョロチョロと、水の音がする。
看護師さんがベッドの右下にしゃがんで、何かしている。
微かに匂う。
尿道に差し込まれた管からベッド下のタンクに流れ落ちる尿を、汲み取ってくれてるみたいだ。
ありがたい。

でも、大きい方はどうするんだろう。
恐る恐る、訊いてみた。

「あ、オムツしてるので、そのまましてもらって大丈夫ですよ。」

やっぱり、そうなんだ。

オムツって…。

予想はしてたけど、ショックでかいな。

「出たら言って下さいね。取り替えますから。」
そんな、申し訳ない。
「私たち、毎日してることなので、気にしないで下さいね。」
あの、点滴で栄養とれるなら、食べなくてもよかったりしませんか?
「食事は必要です。食べて下さい。食べてもらわないと困ります。」

ありがたいけど、情けない。

もっと正直に言うと、嫌なんだ。

この歳で、オムツを誰かに交換してもらうなんて、耐えられないよ。
他に方法はないのか。

ない。よな。
諦めよう。

泣きたくなってきた。

30度。

ベッドサイドに斜めに書いてある赤い線。
30度。と書いてある。
何の角度だろう。

「お食事ですよ~。」
目の前のテーブルに、トレーが置かれた。
白いおにぎり2個と、味噌汁。漬物。乳酸菌飲料。

「このスイッチで、ベッドの角度変えられますからね。
〇〇さんは、この線までです。
30度以上は上げないで下さいね。上げますよ。」
背中が上がっていく。
嫌な予感。

止めてください!

ぐあっ

間に合わなかった。
骨盤がズレて、激痛が走る。

自分でやります。やらせて下さい。

スイッチを受け取った。
小刻みに押して、数ミリずつ動してみる。
こうすれば、痛くない。
ベッドの角度調整は、自分でやらせてもらうようにした。
できることが、ひとつ増えた。

時間をかけて30度。赤い線までベッド角度を上げた。
目の高さに、おにぎりと味噌汁が見える。
触ってみる。

30度でも食べられるように、おにぎりにしてくれたんだろう。
でも握ってから、時間が経ってしまったみたい。
表面がカチカチに固くて、食べられる気がしなかった。
味噌汁は、角度的に難しいな。
口に運んでも全部こぼしてしまいそう。やめておこう。
乳酸菌飲料だけ、ストローを差して飲んだ。

折れた前歯の隙間にストローが入って、痛い。
墜落の瞬間を思い出す。
腰から落ちた勢いで前転して、顔から地面に叩きつけられたんだ。
サングラスとチンガード付きのヘルメットのおかげで、前歯1本で済んだ。
外してたら、顎まで砕けてたな。
鼻も目も、ダメだったかも知れない。

こわ。

深夜の褥瘡予防。

長い昼が終わると、長い夜が始まる。
ベッド周りは消灯。
足側のカーテンが閉められた。

看護師さん達の話し声。
動き回る足音。
血栓防止ポンプの圧縮。作動音。
眠れないけど、初日よりはマシだな。

隣で叫ぶ患者さんはいない。
妻が、音楽プレイヤーを届けてくれた。
酸素マスクと、右腕の点滴がなくなった。

腕一本動かせるだけで、だいぶ違うな。

少し、ウトウトしてきた。
眠れるかも。

カーテンが開く音。
青いポリエチレンのエプロンをした看護師さんが6人。入って来た。
何事? 深夜なのに。

「〇〇さん、褥瘡(じゅくそう)ができるといけないから、ちょっと持ち上げますね。」
じゅくそう? ですか?
「同じ姿勢で長く寝てると、体重がかかる部分の血流が悪くなって、皮が剥けたりするんです。”床ずれ”ですね。痛いし、傷口から感染したりするので。」
持ち上げるんですか?
「はい。」

絶対痛いよな。

あの、折れた骨盤がずれると痛いので、なるべく水平にお願いします。
「なるべく、努力します。」
右に3人、左に2人。
残る一人は、牽引の重りを上げるらしい。
身体を固くして、腹筋に力を入れる。
「行きますよ。1,2,3!」
シーツごと持ち上げられた。
ぐあっ!
腰の骨がずれる音。耐えがたいほどの痛み。声が出てしまった。
深夜だから声は抑えたかったけどな。
本当は、叫びたいくらいだ。

「朝までにもう1回来ますね。」

辛すぎる。

着替え。

ほとんど眠れないまま、朝になる。

ウトウトすると、起こされる。
「〇〇さん、起きてください。今寝たら、夜眠れませんよ。」

違うよ。夜、眠れなかったんだ。
いまやっと眠れそうだったのに、起こさないでくれよ。

「30分後に着替えますので、痛み止め飲んでおいてください。」
どういうことだろう。

「今着てる入院着を脱いで、身体を拭きます。オムツも替えます。
体勢変えてもらわないとできないので、協力お願いします。」

ため息が出る。

左右の腰から付き出している金属棒。左足の固定具。牽引で、寝返りはできない。
 仰向けで寝巻を開き、厚手のウェットシートで身体を拭いてくれる。

「オムツ替えます。腰を少しだけ浮かせられますか?」
やってみます。

固定されてない右足を踏ん張って少しだけ浮かす。
痛い。
やっぱ無理です。

看護師さんが尻の下に手を入れて、引き出してくれた。
尻を拭いてくれてる。
新しいオムツ。
ねじ込んで、浮かせて、横から引っ張って、なんとか替えてくれた。

寝巻替え。
左腕を抜き、身体を右にねじって、背中の左側を浮かせる。
温かい濡れタオルで、左側の背中を拭いてくれてる。
看護師さんが寝巻の左側をクルクル巻いて、身体の下にねじ込んでる。
新しい寝巻に左腕を通して、身体の下にねじ込まれる。

「じゃあ、反対側お願いします。」
はい。

さっきと逆だ。
右側を浮かせて拭いてもらったら、看護師さんが古い寝巻を引き出す。
新しい寝巻も引き出して、右腕を通す。
左側を下にすると、腰からかかとまで強い痛みが走る。
針金を、身体に通されるようだ。
痛み止めを飲まされた理由がわかった。
全然、効かなかったけどな。

金曜日の手術まで、あと4日もある。
毎朝これをしなきゃいけないのか…。

これから、どうなるんだろう。
手術したら、歩けるようになるのかな。

医学生。

「〇〇さん、調子はどう?」
男の先生が来てくれた。40~45歳くらいかな。
医学部の学生を4人連れてる。

痛いけど、大丈夫です。

「ちょっと、学生に説明させてもらいます。みんな、近くに来て。」
白衣を着た賢そうな若者に囲まれた。
そう言えば、入院する時の書類に、医学部の授業に協力するってサインしたな。思い出した。

「骨盤骨折の患者さん。骨盤輪の形が保てない不安定型の例だね。
手術で使うプレートはサイズがいっぱいあるから、その都度発注して送ってもらう。
今はズレた骨盤をけん引して、対外に飛び出したボルトで仮固定してる状態。創外固定だね。
ついでに、増し締めしとくかな。」
白衣のポケットから、工具を取り出した。

あの、先生、痛いなら辞めて欲しいんですけど。

「辞めない。必要なことだから。」

腰から突き出たボルトが、締められていく。
骨に、ギリギリと響く。

「はい。終わったよ。」

この際だから訊いてみよう。
歩けるようになれますか?

「なるよ。」
間髪入れずに答えてくれた。

「リハビリ次第。としか言えないけど、登山家の三浦さんは骨盤骨折してからエベレスト登ってるからね。富士山くらいなら行けるんじゃない?頑張って。」
 
嬉しい。歩けるようになるんだ。
リハビリか。
怪我した野球選手が手術の後、何カ月も痛い思いして頑張るやつだな。
大変そう。

でも良かった。また歩けるんだ。

頑張ろ。

薬剤師さん。

「〇〇さん、胆嚢炎の心あたり、あります?」
内科医と薬剤師さんかな。
白衣の男性二人に、枕元で訊かれた。

あの、胆石があります。
2年前に見つかって、エコー検査を受けてます。
石が大きくなれば、手術しましょうと言われてます。

「なるほど。できるだけ健康な状態で骨盤接合手術を受けていただきたいので血液の状態を診てるんですけど、胆嚢炎の疑いがあったのでお聞きしました。点滴に胆嚢の炎症を抑える成分足してみますね。」
「そうですね。」
お二人が顔を見合わせて、納得して出て行かれた。

凄いな。そこまでしてくれるんだ。

看護師さん。

「お食事。召し上がられてないんですか?」
まだ、食べてないです。
「今日、カレーですよ。おいしそうですよ。一口だけでもいかがですか?」
目の前のテーブルに置かれた。

カレーの匂い。
一口だけ、食べてみようかな。

ベッドのリクライニングスイッチを小刻みに押して、数ミリづつ背中の角度を上げていく。
ゆっくり時間をかけて、赤線の30度まで上げられた。

カレーライス。
スプーンですくって、食べてみる。

うまい。

2日ぶりの食事。
フライト前に、コンビニおにぎりとサンドイッチを食べたきりだ。
オムツに出すのも看護師さんに取り替えてもらうのも嫌で、食べる気にならなかったけど、もういい。
腕からの点滴で生きられるとしても、やっぱり、口に入れた料理を味わって、生きていたい。

食事できるって、幸せだな。

一口だけのつもりが、全部食べてしまった。
水も飲んだ。
胃が膨らんだのがわかる。

生きてる。
実感した。

「あら、全部食べられたんですね。よかった。」
ごちそうさまでした。

食事が終わると、歯磨きまでさせてくれる。
口に含んだ水を吐き出せるよう、サポートしてくれる。
ありがたい。

身体を拭いてくれる。
オムツを替えてくれる。
汚れたお尻を拭いてくれる。
タンクに貯まる尿を、汲み取ってくれる。
嫌な顔ひとつせずに。
ありがたい。

集中治療室は、面会謝絶が基本。
家族に会えない入院患者にとっては、本当に白衣の天使だ。

自分の腕に注射針が刺されるのも見れない僕には、絶対できないな。
どうして、こんな過酷な仕事を選んだんだろう。

若い男性の看護師に訊いてみた。
「僕、自衛隊員だったんです。陸上です。小銃持って走ってました(笑)。
訓練でやるんですよ。怪我した仲間の応急処置とか、意識がない人の救命とか。
やってるうちに本業にしたくなって転職しました。自衛隊も人を守る仕事なんですけど、ここは命を守る実感があっていいですよ。」

頭が下がる。

若い女性の看護師。
「おばあちゃんが癌で亡くなったんですけど、お見舞いに行く病院の看護師さんが優しくて、素敵だなと思いました。家族が病気になっても役に立てるし、早めに発見してあげられたらいいと思って決めました。
私たちに迷惑とか、気にされなくていいんですよ。無理しないで、早めに言って下さいね。」

立派すぎる。尊敬してしまう。
こんな人たちが3交代で24時間、ずっと診てくれてるんだ。
ありがたい。

彼らの2倍は生きて来たのに、僕は全然立派じゃない。
こんな高尚な気持ちで仕事したこと、あったかな。
恥ずかしくなった。

頑張ろ。

洗髪。天国。

一日中、ベッドで仰向け。
白い天井を眺めている。

1時間くらいたったかな。
時計を見る。
10分しか経っていなかった。
 
手術まで、あと3日か。
長いな。
絶望的に。

上下にズレた骨盤を元の位置に戻して、チタンプレートをスクリューで固定する手術。
10年前に開発された技術だから、それ以前の人は創外固定と牽引で骨が癒合するのを待つしかなかったらしい。

この状態で数か月なんて無理。
3日で済むならありがたい。
辛いけど、頑張らなきゃな。

「シャンプーしますよ~。言ってくださいね~。」

天使のような声。
女性の看護師さん。20代かな。初めて見る人だ。
他の病棟からの応援かな。

そういえば、頭が痒い。
初夏なのに、ヘルメットを被って1時間半のフライト。
汗だくで運ばれて、そのまま寝てるんだ。
痒いはずだ。

あの、すみません。
「はい。」
こんな状態でも、シャンプーしてもらえるんですか?
「できますよ。」
お願いします。
「じゃあ、準備しますね。」

洗髪道具を持って、来てくれた。

「ちょっとだけ、頭上げられますか?」
はい。

枕を外して、ビニールシートを敷く。
首の後ろに水まくらのようなゴムの感触。
丸いゴムの洗面器に頭を載せたみたいだ。
ゴムの洗面器。
頭の反対側から床に長くゴムが垂れて、床のバケツに流れるしくみかな。
寝たきりの人専用の洗髪用品なんだろう。
ありがたい。

目にタオル。
頭にお湯をかけてくれてる。

気持ちいい。

髪にシャンプーをつけて、頭皮を洗ってくれてる。
「かゆいところ言ってくださいね~。」
片手で持ち上げて、頭の後ろまで洗ってくれる。

鎖で繋がれた心が解放されていく。
もう、ここは病院じゃない。
美容院へ瞬間移動したんだ。きっと。

「流しますね~。」
お湯で流してくれてる。

天国だ。
ずっと、この時間が続けばいいのに。

「拭きますね~。」
タオルで拭いてくれてる。

「乾かしますね~。」
ドライヤーで乾かしてくれてる。

「はい、お疲れさまでした。」

終わってしまった。
天国の時間は、進むの速いな。

ありがとうございました。さっぱりしました。

「よかったです。手術頑張ってくださいね。」

頑張ります。
おかげで、頑張れます。

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