骨盤骨折リハビリ体験記 Part.1【墜落/ドクターヘリ/重篤】

骨盤骨折リハビリ体験記

墜落。

久しぶりのフライト。
梅雨の中休みで、晴れてる。
風は強めだけど良いコンディションだ。
 
上昇気流に乗って、雲の高さまで来た。
 
白い雲の間を飛んでいると、不思議な感覚になる。
生きているうちに来ちゃいけない場所なんじゃないか。ここ。
すみません。生身の身体で、こんなところまで来てしまいました。
ちょっとだけ、お邪魔します。
 
フライトレコーダーを見る。
テイクオフから1時間半が過ぎようとしていた。
疲れてきたな。もう、降りよう。
高度を落としてランディングに向かう。
 
いつものように風向きを確認し、風下から着陸場に近づいていく。
座っていたハーネスから足を下ろして、走る準備はOK。
あとはブレークコードを少しづつ引き足して着陸するだけだ。
 
高度が落ちない。
着陸すべき場所に降りられない。
ランディングエリアを通り越してしまった。
急いでUターンして着陸態勢をとる。
まただ。
下からの風に持ち上げられて高度が下がらない。
再びランディングエリアを通り越した。
再度Uターンすべく左へ体重移動。
左手に握ったブレークコードを引く。
     ! !
振り返って直後に見えたのは、凄いスピードで迫ってくる地面だった。
 
「ヤバイ! 地面に突き刺さる。」
 
命の危険を感じた。
走れる角度じゃない。
足から降りたら両足とも骨折する。
骨が、膝から飛び出すかもしれない。
 
強い衝撃。
腰から落ちた。

墜落の勢いは止まらない。
腰、伸ばした両足、顔面。
順番に地面に突っ込むように前転。
左に倒れて止まった。 

覚悟した「死」。

 やってしまった。
 
目を開けられない。
 
死んだか。

いや、意識はある。
まだ、生きてる。
 
腰から下が異様な感覚だ。
痛いというより、石の塊になったようだ。
動ける気がしない。
骨折は間違いないな。
 
あの衝撃だ。
骨折だけで済めばいいけど、内臓が無事なんてことはないだろう。
破裂してたら、内出血が始まってるはず。
もうすぐ、感じるのかな。
漏れた内臓液で腹が膨れて、息ができなくなって、吐血して。
やっぱり、死ぬかな。
 
あらためて死を覚悟した。
 
目を開けてみる。
サングラス越しに見えるのは、ヘルメットの内側の白、草の緑、土の黒。
最後に見えるのってこんな物なんだな。
こんな感じで死ぬんだ。
思ってたより、あっけないな。
 
腹部から始まるだろう死への苦しみは、まだ始まらない。
内臓の破裂による吐血は、起きない。
もしかしたら、生き残れるかもしれない。

急に、生への執着が戻って来た。
 
死にたくない。
生き残るんだ。
 
腰の痛みが、どんどん強くなっていく。
頑張れ。耐えるんだ。
 
今、俺にできることは? 生き残るために。
そうだ。呼吸しよう。
 
大きく息を吸ってみた。
吸える。
 
吐いてみた。
吐ける。
 
胸は、痛くない。
肺は大丈夫みたいだ。 

フライト仲間。

「大丈夫か!」
走ってきた仲間の声。
 
大丈夫ではない。
返事できない。
ただ呻くだけ。
 
携帯電話でドクターヘリを呼ぶ声が聞こえる。
やっぱり、そんなに酷いんだ。
 
車で待っていた妻の声。
「大丈夫?」
 
ゴメン。
絞り出せた言葉はそれだけ。
 
とんでもないことになってしまった。
 
後悔。
不安。
恐怖。
絶望。
痛み。
 
言葉では表わせない最悪の時間が続く。
 
心配したフライト仲間が、どんどん集まって来る。
「どうした?」
「失速したのか。」
「風にあおられた?」
「ハーネス外して、仰向けにした方がいいんじゃないか。」
 
「今、話しかけないであげてください。激痛に耐えるだけで精一杯なんで。
多分、背骨折れてます。救急隊が来るまで、動かさないでおきましょう。」

去年、ここで背骨を折った先輩の声だ。
ありがとう。山さん。
いつも冷静で、頼りになる人だ。

痛みに耐えて息をする。
できることは、それだけだった。

救急車。

遠くから、救急車のサイレンの音。
だんだん大きくなる。
止まった。すぐ近くで。
 
「救急隊の○○です。聞こえますか? 私が見えますか? どうされました? どこが痛いですか? お名前言えますか? 生年月日教えてください。住所教えてください。」
 
一通り、答えた。
 
「今から担架へ移して、救急車でドクターヘリへ向かいます。骨折してると思うからなるべく動かさないようにしますけど、痛いと思います。頑張って下さい。」

ハーネスのカラビナを外す。
腕を抜いて、足を抜いて、腰下からハーネスが引っ張り出される。
夏の日差しに暖められた草の斜面に、寝かされた。
    !  !
地面に着いた左腰から足先まで、雷に撃たれたような衝撃。
次の瞬間、熱さに変わった。
熱したフライパンに寝かされたような、耐えられない熱さ。
思わず叫ぶ。
熱い! 左足! 熱い!

「熱い? 痛いじゃなくて?」
びっくりしながらも、数人で仰向けに体勢を変えてくれた。
背中に、固い感触。
プラスチックの担架に乗ったんだな。
 
なんだ。さっきの熱さ。
やっぱり、出血してるのかな。
怖くなった。
 
「救急車に乗せますよ。頑張ってください。」
「せーのっ。」
持ち上げられた。
腰にまた強い痛み。思わず声が出る。

運ばれてる。
体重がかかる場所が変わる度に痛いけど、我慢するしかない。

ドアが閉まる音。
別の隊員に、同じことを聞かれる。
名前、生年月日、住所、痛いところ、どう痛いのか。
さっき、言ったけどな。
またかと思いながら、同じことを答える。
 
救急車が走り出した。
この道、こんなに悪路だったっけ。
ガタガタ揺れる。
精一杯気を使ってくれて運転してくれてるはずだけど、
加速、減速、曲がる、段差を乗り越える。全部痛い。

遠いな。 

ドクターヘリ。

やっと止まった。
救急車のドアが開く音がして、外の風が入ってきた。
ヘリコプターの回転翼の音が聞こえる。

「医師の〇〇です。お名前教えてください。パラグライダーで落下したんですね。ちょっと触りますよ。
骨折してますね。ヘリで病院へ向かいます。希望ありますか?」
 
家の近くの病院を希望したけど、県外は無理らしい。
妻が定期検診で通っている大学病院を希望した。

妻の声。
外で、先生と何か話しているみたいだ。
 
ストレッチャーで運ばれる。
小さい車輪がガタガタして、いちいち痛い。
目を固く閉じて、歯をくいしばって耐える。

空気が変わった。
ヘリに載せられたんだろう。
違う匂いがする。
 
「申し訳ないけど、マスクさせてくださいね。こんな時期なんで。」
感染防止対策ならしょうがないよな。
でも暑い。息がしにくい。

名前、住所、生年月日…。
また、同じことを聞かれる。
 
ヘリの扉が閉まる音。
エンジンとローター音が大きくなる。
離陸した。
さっきまで一人で飛んでた空に戻って来たんだ。
えらい違いだけどな。

「なるべく服を破らないようにしたいけど、ちょっと切らせてもらいますね。」
 いえ、全部切って下さい。
 
腰や膝に衝撃吸収パッドのついた、バイク用のサポーターパンツ。
これ履いてなかったら、死んでた。
ありがとな。
切らないで脱ぐのは絶対痛いから、全部切ってもらう。
 少し、涼しくなった。
フライトドクターから止血の話が聞こえないってことは、出血してないのかな。
助かるかも知れない。

救急車ほどじゃないけど、ヘリも揺れて痛い。 

「○○大学病院へ向かってますからね。」
「あと○分くらいですよ。」
「頑張ってください。」 
声をかけて、励ましてくれる。

ドクター、看護師、パイロット。
全員、僕を助けようとしてくれてるんだ。
ありがたい。

死んだら、がっかりするだろうな。
頑張れ俺。
この人達のためにも、頑張るんだ。

絶対助かるって、信じるんだ。

救急処置室。

着陸した。
大学病院のヘリポートだろう。
ハッチが開いて、外の風。
フライトドクターから大学病院の救命スタッフへ、引継ぎの声が聞こえる。
 
「○○さん。男性。56歳です。心拍正常。意識あります。パラグライダーで墜落。骨折してると思います。ご本人の希望でこちらへ搬送しました。あとよろしくお願いします。」

別の病院から飛んで来てくれたんですね。ありがとうございます。
御礼も言えないまま、運ばれていく。
ストレッチャーがガタガタ揺れて痛い。

救命救急の女性の声。
「病院ですよ~。お名前言えますか~。」
「生年月日言ってください。」
「どこが痛みますか~。」
歯をくいしばって痛みに耐えているから、できれば話したくない。
内容より、僕の状態を確認してるんだろう。
頑張って答える。

目を閉じてるのに眩しい光。
処置室に着いたみたいだ。

「1,2,3!」
掛け声でベッドへ動かされる。凄く痛い。
4~5人がかりで、全身に何かが装着されていく。
 
「血液とりますよ。」
「レントゲン撮りますからね~。」
 
繰り返し名前を呼ばれて、何をするか告げられる。
はい。としか言えない。
 
「あちゃー。骨盤折れてるよ。こりゃ痛いわ~。
○○さん聞こえてる?とんでもないとこ折れてるからね。」
 
骨盤骨折。
やっぱりそうなんだ。
コードブルーの山Pのセリフを思い出す。
死ぬ危険が高いヤバイ骨折。
どうなるんだろう。俺。

車椅子。
寝たきり。
半身不随。
さっきまで命が助かればいいと思ってたのに、その先を怖がってる。
自分勝手で弱い人間だな、俺。

「CTの準備OKです。」
ストレッチャーでCT室へ運ばれる。
「1,2,3」
またあの痛みがくる。
覚悟したけど、痛くなかった。
こんなこともあるんだな。

手術(1回目)。

 「○○さんあのね。骨盤っていうお尻周りの一番大きな骨が縦に2つに割れて、ズレちゃってるの。引っ張って元の位置に戻さないといけないから、もうすぐ手術します。頑張ってね。」
 
女医さんが、レントゲン写真を見せてくれた。
骨盤が真ん中で二つに割れて、左側が上に持ち上がっている。
仙骨も折れてる。
骨盤の下側にあるリング状の骨は壊れて、離れている。
右側の骨盤は、ヒビが入っている。

マジか。

これでよく出血しなかったな。
内臓が破裂しなかったのが不思議なくらいだ。

手術の同意書に嫌な文字を見つけた。
「重篤」
命の危険があるってことだよな。
麻酔、輸血、放射線。
書類の枚数も多い。
寝たままで、ペンを持つ指に力が入らない。
小学生より下手な字で署名した。

「もうすぐ手術室へ移動しますからね。」
「あ、奥さん見えたみたいですよ。お話されますか?」

はい。

「だいじょうぶ?」
ごめん。
「謝らなくていいよ。身体治すことだけ考えよ。がんばって。」
ごめん。

コロナ禍だから、ヘリに乗れなかったんだろう。
パラグライダー場からここまで90km。運転してくれたんだね。
普段運転しないのに、山道。怖かったろ。
ごめん。
来月の沖縄旅行。行けなくなっちゃったね。キャンセルしといて。
本当に、申し訳ない。

手術室に運ばれた。
年配の男の先生だ。
「〇〇さん、パラグライダーで落ちたの? 痛かったね。治ったらまた飛ぶの?」
もう、いいです。
「もういいか(笑)。こっちは、また飛べるくらい回復させるつもりでやるからね。頑張ってよ。」
お願いします。

手術前のこの一言。ありがたい。いい先生だな。
頑張ります。

「牽引はじめまーす。」
ただでさえ痛い左足が、強い力で引っ張られていく。
上下にズレた骨盤が、ギリギリと戻されていく。

ここ、地獄ですか?

「重り7.5㎏。装着しました。」
「固定するよ~。」
腰周りの骨に、太いボルトがねじ込まれていく。
ぐあっ。
堪らず、声が出る。
 
「あれ、痛い?麻酔効いてるはずだけどな。まあ、骨だからね。」
左右の骨盤にボルトをねじ込む作業は止まらない。
何本やるんだよ。

左足の膝に、何か刺されてる。
注射とか、針金の細さじゃない。太い棒。
仮面ライダー、キカイダー、サイボーグ009.
改造人間にされてる気分だ。

骨にスクリュー。廻りながら深く刺さっていく。
まだ続くのか。
耐えるしかない。

わかってる。
わかってるけどさ…。
全身麻酔で、眠ってからやって欲しかった。

早く終わってくれ。
一秒でも早く…。

EICU.(緊急集中治療室)

目が覚めたら、知らない部屋だった。
知らない天井。
エヴァのタイトルを思い出す。
初号機で戦った後のシンジ君も、こんな感じだったのかな。

仰向けにベッドに寝かされてる。
全身にいろんなものが付けられていて、動ける気がしない。
目線だけ、動かしてみよう。

ベッドの頭側に、モニター画面。
脈拍とか、複数の数字が色別で表示されてる。
医療ドラマで出てくるやつだ。

左右は、白いカーテン。
他の患者と仕切られてるんだろう。
足の向こう側のカーテンは開いてる。
看護師さん達がすぐ近くにいる。

狭い。
テレビはない。
普通の病室じゃないな。
ICU。集中治療室かもしれない。

ベッドの左に点滴。右にも点滴。
両腕に一本づつ繋がっている。

口に、樹脂製のマスク。
酸素吸入器だろう。
指先のクリップは、酸素センサーだな。

胸にもいっぱい、何か貼られてる。
色分けされた線がモニターに繋がっている。
心電図のセンサーと、他にもいろいろあるんだろう。

首の右側に張り付けられてるのは、心臓へのカテーテルだな。
心停止した時に、ステントやバルーン、強心剤を打ち込めるように差し込まれてるんだ。
心臓が止まる可能性があるってことだよな。
こわ。

下半身は?

マジかこれ。

自分の目を疑う。

創外固定。

腰の左右に一本づつ。金属棒が刺さっている。
直径1cmくらいの棒が、身体から10cmくらい突き出ている。
棒の先端にワイヤー。
どこに繋がってるんだろう。
針金の先に視線を移していく。

左膝に金属棒。
左右に貫通している。
左足首は、器具で固定されてる。
腰から突き出た金属棒、左膝を貫く金属棒、左足首を固定する器具がワイヤーで繋がってる。
僕からは見えないけど、固定具の先には7.5kgの重り。
墜落の衝撃で2つに割れて上下にズレた骨盤を、引っ張っているんだ。

サイボーグかよ。

我ながら、痛々しい。
嫁さんや会社の人が見たら、引くだろうな(笑)。

もう、見えるものはない。
次は、音か。

プシュー。プシュー。
両足のふくらはぎにエアポンプが着けられてる。
20秒毎に10秒の圧縮。
ずっと動いている。
大型電器店で買う気のないマッサージチェアを試したことがあるけど、
あの、ふくらはぎ圧縮装置を両足に着けられたまま。止めてもらえない。
そんな感じ。
ベッドに寝たきりで身動きとれないから、ふくらはぎを圧縮して血液を循環させてるんだろう。

股間に違和感。
尿道にチューブが差し込まれてる。
これ入れる時、意識なくてよかった。
手術中の僕が辛そうだったから、麻酔を増やして眠らせてくれたのかも。
抜く時、痛そうだな。

だいたい理解した。
手術直後の、かなりヤバイ患者だ。
ドラマでは見るけど、まさか、自分がICUの患者になるとは思わなかった。

腰まわりが石の塊になったみたいな感覚はそのままだけど、酷い痛みではない。
眠れそうだ。

考えてもしょうがない。
眠ってしまおう。

酸素モニター。

息苦しさと、煩い音で目が覚めた。
頭上のモニターの数値が赤く点滅して警告音が鳴ってる。
バタバタと急ぐ足音が近づいてくる。

看護師さんが来てくれた。
「息苦しいですか? 深呼吸できますか?」
できます。
目線と、酸素マスクが当てられている口元を少し、縦に動かして伝える。

息を大きく吸って、吐く。
繰り返す。
少しづつ、点滅しているモニターの数値が上がっていく。
繰り返す。
点滅が止まった。

ああ、なるほどね。
指先のセンサーが酸素量を計測してモニターに送ってる。
血液の酸素濃度が低いと警告音が鳴るしくみだな。
理解した。

目線を上げてモニターの数値を読む。
さっき赤く点滅したのはあの数字。
あれが酸素だな。
警告音が鳴る、止まる基準値はいくつなんだろう。
今度、試してみよう。

眠ってたらまた、酸素アラートで起こされた。
自分で止められるかな。
深呼吸する。
看護師さんが来た。
数値は上がり始めていて、僕は数値を見ながら深呼吸をしている。
間もなく警告音が止まり、点滅も止まった。

自分で、止めてみました。

「〇〇さんがモニターで遊んでる(笑)。」

笑ってくれた。

身動きできなくても、できることってあるんだな。
誰か笑ってくれるって、嬉しいんだな。

フットポンプ。

両足のふくらはぎに装着されたエアポンプは、動き続けてる。

眠れないので止めてもらえませんか?
「骨盤骨折は血栓できやすいんですよね。だから緩めたり、外したりはできないです。肺に飛んだら死んじゃうので。」

重力と逆の方向。足から心臓へ血液を戻す役割のふくらはぎ。
筋肉が動かなくなると、血の塊ができる。
肺に詰まると全身に酸素を供給できなくなり、最悪の場合は死に至る。

女医さんの言い方は優しいけど
「外したら死ぬよ。」ってことだろう。
慣れるしかないみたいだ。 

眠れない夜。

夜になってしまった。

ベッド周りは消灯されて、左右は暗い。
足側のカーテンの向こうは明るい。
看護師さん達の声、歩く足音が聞こえる。
夜通し看護してくれるんだな。
ありがたい。

フットポンプの圧縮と作動音で、眠れない。
やっと眠れても起こされる。
どのくらい眠れたんだろう。
時計の針は、ほとんど動いていなかった。

テレビもないし、窓もない。
スマホは禁止。取り上げられてしまった。
本と、イヤホンで聴ける音楽プレイヤー。
妻に頼んだけど、今夜はない。
天井の板。数えるのも飽きた。

医療モニターは、患者から見にくい角度に設置されてる。
首と目が疲れて、長くは見れない。

「瞑想でもしてて。」
妻の声を思い出す。
そうだな。

最近、本社に転勤したばかりで、引継ぎとか引越で忙しくて、瞑想する時間もなかった。
気分転換を兼ねて久しぶりに飛びに来たら、こうなったんだ。

瞑想。
やってみよう。
心を無にして、呼吸に集中。

できない。

エアボンプの圧縮、動作音。
両腕に刺さっている点滴針。
首に刺さっているカテーテル。
牽引される腰の痛み。
酸素マスク。
心を無にするなんて、できないよ。

逃げ出したい。
せめて、眠ってしまいたい。

隣のベッドから、声が聞こえる。

「おとうさーん。おとうさーん。」
「〇〇さん、ここ病院ですよ。安心して下さい。」
「おとうさーん。」
「お父さんに会いたいの? お父さんはいませんよ。もう寝ましょうね。」
「おとうさーん。」

無限ループ。

ろれつが回ってない。おじいちゃんの声だ。
カーテン1枚向こうで、ずっと叫んでいる。
両腕の点滴で、耳を塞ぐこともできない。

今こんな状態で、歩けるようになるのかな。
車椅子になっちゃうのかな。

引っ越したばかりのマンション。
僕らの階にはエレベーターが停まらないから、車椅子になったら部屋に入れない。
また引っ越さなきゃ。
引越業者におまかせするパックはあるけど、手伝うこともできない。
定年したら海外旅行に行くつもりでいたけど、行けないな。
 
ネガティブなことしか浮かばない。
 
明日は月曜日。会社行けない。
10時から打合せあるのに。
どのくらい休むことになるんだろう。
そもそも、復帰できるのか。
 
昨日までの自分が目に浮かぶ。
買ったばかりの自転車で、転勤したばかりの会社へ通勤していた。
新しい部長席。新事業の打合せ。
全てが、キラキラと輝いて思い出される。
 
覚悟はしてたはず。
危ないことはわかっていた。
今までもヤバい瞬間はあった。
それでも、怪我をせずに7年飛べてきたのに。

やってしまった。
 
転勤で、なかなかフライトエリアへ来れなくなった。
飛ぶ機会が少なくなった。
最近、スクールの体制が変わった。
風にあおられてランディングエリアを通り過ぎた時、どうすればよかったんだろう。
今、考えても仕方ないけどな。

もう飛べないんだ。
もう、バイクにも乗れない。
車にだって、乗れないかもしれない。
 
これからどうなるんだろう。
不安しかない。
眠れない。

目を閉じる。
これ、全部夢だったとか、ないかな。
起きたら家のベッドだったとか。
だといいな。

今、何時なんだろう。
疲れた。

もう、どうでもいいや。

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