Day.1
夫、パラグライダーで墜落。
木陰に停めた車の助手席。
シートを倒して休んでいたら、窓を叩く音で起こされた。
「奥さん、旦那さんが落ちた。」
えっ。
車のドアを開けて、外を見る。
皆さんが走ってる。
「行きましょう。」
主人のパラグライダーのお仲間。後に着いて走る。
「あそこです。」
見慣れたグライダーと、夫の姿が見えた。
草に倒れて、呻いている。
だいじょうぶ?
「ごめん。」
凄く痛そう。目も開けられないみたい。
「多分、骨折してます。さっき、ドクターヘリ呼びました。
奥さん、一緒にヘリに乗って病院へ行ってください。車は後で、病院に届けますから。」
あっ はい。
車に戻って、準備する。
バッグを持って、車のカギを渡す。
お願いします。
ヘリコプターなんか乗ったことないよ。大変なことになっちゃったな。
ドクターヘリ。
ヘリコプターの音。
林の向こうへ降りていくみたい。
救急車も着いた。夫が乗せられて、ドアが閉まった。
お仲間の車に乗せてもらって、救急車の後に着いて行く。
ヘリコプターに向かうのかな。
救急車が、ドクターヘリの近くに停まった。
お医者さんが救急車に乗り込んで行く。
私も、乗った方がいいのかな。
近くへ行ってみた。
「近づかないで!」
救急隊の人に止められた。
コロナ感染防止対策で、救急車には乗れないみたい。
そんなに、怒鳴らなくても。
ヘリから先生が降りて来た。
「奥さん?」
はい。そうです。
「ご主人ね、骨折してます。お住まい県外なんですね。ドクターヘリは他県へは運べないので、A市かB市になります。ご主人は、A大学病院を希望されてます。かかってるからって。」
あ、私ですね。
「あっ、奥さんが診てもらってるのね。A大で。」
はい。
「じゃあ、A大へ訊いてみます。受け入れてもらえるかどうか。ダメなら、日赤、済生会、市民病院の順で訊いてみますね。」
はい。お願いします。
先生の胸に、マークが見えた。B医科大の先生なんだ。
でもこれから通うことを考えると、B市は遠い。せめて、A市内の病院にしてほしい。
どっちも遠いけど。
「もしもし、A大学病院ですか?ドクターヘリの〇〇です。N市で、パラグライダー墜落。骨折ですね。
56歳。男性。住所はC県D市です。受入れOKですか?はい。ありがとうございます。では、これから向かいます。準備お願いします。」
「A大学病院へ搬送します。今コロナで、奥さんヘリに乗れないんです。車で来て下さい。」
わかりました。よろしくお願いします。
ドクターヘリは、飛んで行ってしまった。
大学病院まで90km運転中。警察から電話。
車に戻ると、夫のグライダーや装備がまとめられていた。
皆さんに御礼を言って、車に積み込む。
私が運転して、病院へ行かなきゃならないんだ。
スクールの校長先生が、電話番号を渡してくれた。
「病院についたら連絡して下さい。何時でも結構です。ショートメッセージでもなんでもいいから。」
ありがとうございます。連絡します。
ナビをA大病院にセットして走り出す。どう行くのが早いんだっけ。
そうだ。最寄りのサービスエリアに、ETCだけが入れる入口があったはず。向かってみよう。
山道、苦手だな。
道狭いし。
対向車とか来たら、どうしよう。
あれ?
どんどん山の中へ入って行く。
道間違えちゃったのかな。
もう、わかんないや。
最悪。
なんとかしなきゃ。
道が狭すぎて、もう戻れないし。
とりあえず、ナビの通りに走ってみよう。
しばらく走る。
あっ、この道、知ってる。
覚えてる。
走ったことある。
隣のインターチェンジの近くまで来ていた。
ほっとした。
事故しませんように。
電話が鳴った。
今、出れないです。
また電話。
病院かもしれない。
少しだけ、出てみよう。
「もしもし、警察です。ご主人の具合、いかがですか?」
まだわかりません。病院へ向かってるところなので。
「亡くなったり、しませんか?」
わかりません!
ちょっと、腹が立った。無神経すぎる。
怪我と死亡では、手続きが違うのかも知れないけど、
それがあなたの仕事なのかもしれないけど、
もう少し、言い方考えてくれてもいいんじゃないかな。
今、病院に向かってるって言ってるのに。
落ち着かなきゃ。
事故しませんように。
救命救急。重篤。緊急手術。EICU.
A大学病院に着いた。救急センターへ急ぐ。
先生が、レントゲン画像を見せてくれた。
「ご主人、骨盤骨折してます。真ん中で二つに割れちゃって、こう、ズレちゃってるですね。上下に。
もう少ししたら手術します。ズレた骨盤を引っ張って元の位置に戻して、重りをつける1回目の手術です。命の心配はないので、安心してください。」
1回では終わらないみたい。
次の手術がいつかはまだわからないけど、まずはズレを元通りにしなきゃいけないのね。重りつけて引っ張るんだ。痛いだろうな。
処置室の自動ドアが開いて、手術室に向かう夫が運ばれて来た。
顔にまだ、血が付いてる。
だいじょうぶ?
「ごめん。」
いいから、からだ治すことだけ考えよ。頑張って。
「ごめん。」
運ばれていった。
看護師さんから、書類を渡された。
「緊急集中治療室。EICUに入っていただくことになります。必要な物がありますので、申し訳ございませんが、そこに書いてあるものを用意していただけますか?院内の売店でも揃えられます。」
ありがとうございます。買ってきます。
おむつ、髭剃り、歯磨きセット、箸。スプーン。タオル。
日曜日だからかな。病院の売店はもう閉まっていた。近くを歩いても、探せる自信がない。
駐車場から車を出して、大型のドラッグストアへ向かう。
リストにあるものは買えた。
病院に戻ってEICUの看護師さんに渡す。
「揃えてもらいました?」
はい。
「本当はコロナで入れないけど、少しだけ話せますから。そちらでお待ちください。」
ありがとうございます。
渡された「入院の手引き」を読んで、必要な書類を書く。
コロナ禍で、面会できないらしい。ナースステーション経由で、物の受け渡しだけ。
長い時間。
ずいぶん、待った。
手術が終わった。
夫がストレッチャーで運ばれていく。
EICUの真ん中。個室みたいな部屋に運ばれた。
第一印象は、とんでもない瀕死の重症患者。
両腕、手首、指先、胸、首。とにかく管だらけ。
点滴と、モニターに繋がれてる。
腰から2本。金属の棒が飛び出してる。
左の膝にも金属の棒。貫通してるのね。
左足首は固定されてて、ベッドの外に重りが下がっている。
腰に刺さった金属棒も、膝を貫通してる金属棒も、この重りに繋がってるんだ。
左右に割れて、上下にズレた骨盤が戻らないように、引っ張ってるのね。
痛そう。痛いよね。
麻酔が効いてるんだろう。
意識もうろう状態。
顔に血ついたまま。
手術したのに、拭いてもらえないんだ。
だいじょうぶ?
「ごめん。」
もう、謝らなくていいから。会社どうする?
「連絡しといて。」
わかった。明日連絡しとくね。
「ごめん。」
治すことだけ考えて。
前歯折れてる。
先生と、看護師さんが、来てくれた。
「手術は成功しました。明日、骨盤専門の先生に診てもらって、2回目の手術の日程を決めます。
看護師から奥さんに、毎日同じ時間に連絡します。13時でいいですか?」
大丈夫です。よろしくお願いします。
ありがとうございました。
家まで130km。夜の高速道路を走る。
一人になった。家に帰ろう。
自分で運転しなきゃ。
今朝5時起きだったし、いろいろあり過ぎて疲れてるけど、走らなきゃ。
事故しませんように。
夜の高速道路。
こんなに長い距離、一人で運転したことないよ。
遠いな。
23時過ぎ。やっと家に着いた。
機械式の車庫。いつも夫が入れてくれる。
先月引越したばかりで、私はやったことない。
でも、やらなきゃ。
ぶつけませんように。
何回切り替えしたかな。
15分かけて、なんとか入れられた。
部屋に入る。
ベッドに倒れ込む。
隣がガランとしている。無駄に広い。
疲れているのに、なかなか眠れないや。
やっぱり、興奮してるのかな。
どうなっちゃうんだろう。これから。
Day.2
夫の会社に電話。病院から電話。
目が覚めた。
2つ並んだベッドに、私1人。
夫の姿はない。
転勤で引越ししてまだ1か月なのに、
ダンボール箱もまだ残ってるのに、
どうして1人なんだろ。
昨日の光景が目に浮かぶ。
救急車。ドクターヘリ。大学病院。EICU。骨盤骨折。重篤。
今日は月曜日。
夫の会社に電話して、入院したことを伝えなきゃ。
伝えること。お願いすること。まとめておこう。
9:00 夫の会社に電話する。
もしもし、おはようございます。〇〇の家の者です。昨日、主人が怪我をしてしまって、大学病院に入院しました。詳しくは、FAXを送ります。ご迷惑おかけして申し訳ありません。
取り急ぎ、高額医療申請用紙の発送をお願いします。
「わかりました。すぐお送りします。」
総務の人。一瞬、言葉失ってた。
この重篤って書類見たら、もっとびっくりするだろうな。
電話が鳴った。
病院からだ。
定時連絡は13時のはずだよね。
まだ11時。
何かあったのかな。
「A大学病院のEICUの〇〇です。ご主人、今日手術することになりました。先生に替わりますね。」
はい。
「整形外科の〇〇です。ご主人、腰椎の骨がひとつ潰れちゃってました。金曜日に骨盤の手術するんですけど、一緒にやるより腰椎だけ先にやった方がいいので、今日、手術します。13時からです。」
はい。よろしくお願いします。
看護師さんに替わった。
「奥さん、来れますか?」
はい。行けますけど、13時には間に合わないです。
「手術の同意書はご主人にいただいてますので、手術開始に間に合わなくても大丈夫です。手術は4時間くらいかかるので、終わるまでには来ていただけますか?」
はい。行けます。よろしくお願いします。
病院まで130km。また車で走らなきゃ。
高速道路、苦手なのにな。
事故しませんように。
2回目の手術。
病院に着いた。
手術はもう始まってる。
待合所には、複数の家族が手術が終わるのを待ってる。
皆さん、大変だな。
昨日、先生が言ってた。
歩けるようになるって。
だから、だいじょうぶ。
車椅子になったとしても、なんとかなる。
生きててくれれば、なんとかなるよね。
手術が終わった。EICUに運ばれていく。
先生が説明してくれた。
「潰れた腰椎にセメント入れて、元の体積に戻しました。プレート入れて、上下の骨で固定しています。左足に痺れがあるようですが、徐々に良くなりますよ。」
ありがとうございます。
EICUの看護師さん。
「少しだけですけど、お話されますか?」
はい。
EICUの真ん中。昨日と同じ場所。
全身管だらけで痛々しい。
顔についてた血は、拭いてもらったのね。
だいじょうぶ?
「うん。ごめん。」
これ、頼まれた本と、MP3プレーヤー、電池式の充電器も買って来たよ。
「ありがと。」
会社にも連絡したよ。高額医療の申請もお願いした。すぐ送ってくれるって。
「ありがと。」
・・・。
「沖縄、行けなくなっちゃったな。ごめん。キャンセルしといて。」
わかった。キャンセルしとくね。痛いけど、頑張ってね。
麻酔が残ってて、ゆっくりしか話せないみたいだけど、手術が成功してよかった。
疲れてて、家に帰れる気がしない。
近くのホテルを予約する。
私の検査で6カ月毎に来るからよく泊まるホテルだけど、シングルルームは初めて。
一つだけのベッド。狭いな。
ご飯を食べに行く元気がなくて、スーパーのお弁当を食べる。
お風呂に入ったらわかった。
やっぱり、凄く、疲れてる。
おやすみなさい。
Day.3
面会謝断。
10時にチェックアウトして、病院へ向かう。
EICUの看護師さん。
「今日は面会できないです。おむつのサイズが小さかったので、大きいサイズを用意していただけますか?」
はい。買ってきます。
夫のオムツのサイズなんて知らない。
小さかったんだ。
最初に届けたものより大きいサイズを買って届けた。
会えないけど、もう少しだけ、近くにいようかな。
14時になった。
今日はもう、連絡なさそう。
帰ろ。
またいっぱい、運転しなきゃ。
夫は山道を走るのが好きだけど、私は苦手。
平地の広い道をゆっくり帰ろう。
いつもは通らない道で、ドライブインを見つけた。
ちょっと、休憩しよ。
今日、朝食も食べてないや。
お腹空いたな。
看板メニューの中華丼。
いただきます。
久しぶりの、あったかいごはんが、胃に流れていく。
おいしい。
普段は頼まないクリームソーダも、おいしい。
喉渇いてたんだ。
生き返った感じがする。
だいじょうぶ。
先生、歩けるようになるって言ってたし。
きっと、だいじょうぶ。
なんとかなるよね。
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